食でもあわれむような気持で、あわれんでいたのだ。今は、あべこべに、自分こそあわれまるべき位置にある!……それにしても、同じ先生でありながら、いや、同じ人間でありながら、朝倉先生と宝鏡先生とでは、どうしてこうもちがうものか。)
彼は、今さらのように、人間がめいめいの生活態度によって、いかに自分の人間としての価値を上下しているかを考え、粛然《しゅくぜん》とならざるを得なかった。
しかし、彼のこの気持は、そう永くはつづかなかった。というのは、彼の心の片隅に、いつとはなしに一点の黒い影が動き出し、たちまちのうちに彼の気持全体をかきみだしてしまったからである。それは、ちょうど、清水の底にひそんでいた小魚が、急ににごりを立てて泳ぎ出し、縦横にはねまわったようなものであった。
運命! それは、彼が意識すると否とにかかわらず、いつも彼の心の底に巣食っている問題であるが、それが今濁り水のように、彼の心におおいかぶさって来たのである。
(宝鏡先生には宝鏡先生の運命があり、朝倉先生には朝倉先生の運命があるのだ。かりに宝鏡先生が朝倉先生ほどのまじめな生活態度をとったとしても、朝倉先生と同じ人間価値を発揮し得たとは思えない。いや、朝倉先生のような真面目な態度をとり得なかったところに、すでに宝鏡先生の運命があったのではないか。祖先から伝わる血、天分、それを運命でないと誰がいいうるのか。ひとり祖先からつたわる血や天分だけではない。物ごごろつくまでの生活環境だって同じだ。苗《なえ》の時に曲げられた木の幹を、誰が完全に真直にすることが出来るのだ。)
ここまで考えて来た彼は、もう彼自身の幼年時代の、憎悪と、策略と、偽善と、闘争《とうそう》とに駆り立てられていた頃の生活を思い出した。そして、それを彼の最近の心境とてらし合わせて、思わす身ぶるいした。
(もし、自分がこないだ日記に書いたことが、自分の幼年時代に根をおろした運命のいたずらに過ぎないとすると――)
彼はなぜかやにわに起きあがって、あたりを見まわした。近くには誰もいなかった。掲示台のまえには、相変らず生徒たちがむらがってさわいでいる。彼はその方にちょっと眼をやったが、すぐ視線を転じて、見るともなく、玄関の左側になっている生徒監室の窓を見た。永いこと朝倉先生が生徒監主任として机をすえていた、そのすぐうしろの窓なのである。
彼は一瞬はっと
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