不正の泡でしかないからだ。不正の根元はべつにある。僕が僕の最大の敵として僕の怒りを集中するのは、その根元に向かってでなければならないのだ。
ではその根元は? それは、いうまでもなく、僕たちから朝倉先生を奪った権力だ。僕は僕の最大の敵をこの権力に見出す。僕は或は一生を通じてこの敵と戦わなければならないかも知れない。なぜなら、この権力は僕たちの学園において不正を仂いただけでなく、日本の民族に対して不正を仂き、そして将来も永く仂こうとしているからだ。
だが、僕にはもう一つ選ばなければならない怒りの焦点《しょうてん》がある。それは前者ほど大きな、そして永久な敵ではないかも知れない。しかし、僕の現在の生活にとっては、決して単なる不正の泡として見すごすことの出来ない敵である。それは馬田だ。僕は彼を僕の敵として選ぶことについて、ある躊躇《ちゅうちょ》を感じないではない。しかし、今はその感情をぬきにして、彼を敵にするよりほかはない。それは、現在僕の身辺にまきちらされている不正の泡は、ほとんどすべて彼から出ているからだ。
僕は僕の敵をこの二つの外に選んでもならないし、そのうちの一つを敵から省《はぶ》いてもならない。僕は、この二つを敵に選ぶことによってのみ、僕の現在の危機をきりぬけることが出来ると信ずる。僕のこの考えは間違っているかも知れない。しかし現在のところ僕はそれ以上のことを考えることが出来ないのだ。僕はたしかに僕のベストをつくしている!」
*
こんな日記を書いたあとの次郎は、ほとんどふだんの次郎と変りがなかった。彼はしずかに寝た。俊三のいびきもさして苦にはならなかった。そして翌日からの彼の学校での態度には、どこかに昂然たるところがあるように思われた。
そのうちに、彼は、ある朝、兄の恭一と大沢から連名の絵はがきをうけとった。それには、
「いよいよ夏休みだ。すぐ帰省したいと思ったが、四年まえの筑後川上流探検のことを思い出し、今度は地図をもって、もう一度あの辺を歩きまわってみようということになった。隠棲の剣客のような感じのした白野老人と、快活で親切だった日田町の田添夫人とは、ぜひお訪ねして、あの時のお礼を申述べたいと思っている。君もいっしょだと一層面白いのだが、仕方がない。いずれ帰省したら、くわしく報告する。」
とあった。次郎の胸には、懐旧の情がしみじみと湧
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