者でさえ、すでにその中に敵という言葉を用いているではないか。「その行いを悪《にく》んでその人を悪まず」といっても、人なくして行いがない限り、行いをにくむことは、やがてその人を敵とすることになるのではないか。愛と調和と、そしてそれに出発した創造のみが人生にとって有用であるということが真理であるとしても、いや、それが真理であれはあるほど、その真理にさからうものを敵として戦うことが必要になって来るのではないか。現に、その真理を僕たちに説かれた朝倉先生自身、すでにそうした戦いを戦われているのだ。僕はそう思わざるを得ない。
では、僕が現在、周囲に無数の敵を感じつつあるということは、いったいどうなのだ。それはいいことなのか、わるいことなのか。僕はそれをいいことだとは絶対にいいきれない。なぜなら、僕の内部には、それと同時に僕の幼いころのあらゆる悪魔が再び芽を出しはじめ、そのために僕の生命はうずまき、濁り、一切の誇りと喜びとを見失ってしまいそうだからだ。かといって、僕はそれをあながちわるいことだともいいきれない。なぜなら、不正と戦わないでは、愛と調和と創造との世界は生まれて来ないし、そしてそうした世界なしには、生命の誇りも喜びもあり得ないからだ。僕はこのことについてもっと深く考えてみなければならない。
だが、とりあえず僕はどうすればいいのだ。僕の周囲には、日に日に敵がその数を増しつつある。肉親の弟でさえも今はもう僕の敵になっている。しかも不正はすべて彼らの方にあるのだ。それは断じて僕の方にはない。僕は彼らと戦う権利があると信ずる。そして、そうであればあるほど僕は恐ろしい。僕が野獣になる危険がそれだけ多いからだ。それは大きな矛盾だが、その矛盾が現に僕の心の中にあるのだから、仕方がない。
この場合、僕としてとりうる道はただ一つしかないようだ。それは、僕の怒りを最も重要なところに集中することだ。敵の中の最も大きな敵を選んでそれと戦うことだ。ちょうど昔の武士が雑兵《ぞうひょう》を相手とせず、まっしぐらに敵の大将に近づいて、一騎打の勝負をいどんだように。ではどこに怒りの焦点を定めるのか。誰を最も大きな敵として選ぶのか。それは、むろん、俊三であってはならない。また、むろん、僕を白眼視し冷笑している多くの生徒たちであってもならない。彼らが僕に対してどんなひどい侮辱を加えようとも、それは所詮
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