みがないとは限らない。もし父の言うように、時代に反抗する一切の努力がむだ玉だとするならば、朝倉先生もまたむだ玉をうたれたことになるのではないか。」

    九 二つの敵

 次郎は、この一週間ばかり、考えぶかくすごして来た。
 血書撤回のことは、すぐその翌日、新賀と梅本とによって校友会の委員会に持ち出されたが、わけなく否決された。ストライキ派が、それを撤回されてはストライキの口実がなくなると思っているところへ、反対派の一人が、「血書をひっこめたら、われわれの朝倉先生に対する気持までひっこめたことになるんだ。」とどなったので、ほとんど問題にならなかったのである。
 それでも、新賀と梅本とは、決をとるまで、しきりに次郎のこれからの危険な立場を述べたてて賛成を求めた。これには、ストライキ反対派の中に同感の意を表したものも多少あった。しかし、次郎本人が、
「血書は私情で書いたものではない。それを私情でひっこめることは絶対に不賛成だ。」
 と、強く言いきったので、新賀も梅本も、結局あきらめるより仕方がなかったのである。
 血書撤回の問題がかたづくと、すぐまたストライキ問題がむしかえされた。馬田一派に言わせると、
「少数の父兄が県庁に呼び出されたということは、すでに少数の生徒が犠牲者に予定されているということを意味する。だから、一日も早く、全校生徒で責任を負うような態勢をととのえなければならない。」
 というのであった。これに対し、次郎はきっとなって言った。
「われわれは、たった今、血書撤回を否決したばかりではないか。血書を撤回しないかぎり、ストライキをやらないというわれわれの約束は、決して消滅してはいないはずだ。」
 言ってしまって、彼自身、何か詭弁《きべん》を弄したような気がして、あぶなく苦笑するところだった。しかし相手はそれでわけなく沈默してしまい、その代りに生徒大会の問題をもち出した。その理由とするところは、「とにかく今度の問題は、もう校友会の委員だけできめるには、あまりにも大きすぎる。こうした問題について、一度も生徒大会を開かないのは不都合だ。」
 という、ごくぼんやりしたことだった。しかし、その底意が、生徒大会の興奮した空気をストライキに導こうとするにあったことは、明らかであった。それに対しても、次郎は、
「そんなことは有害無益だ。」
 と、言って正面から反対した
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