機会だったのである。
(しかし、父は、なんで、だしぬけにそんなことを自分にたずねるのだろう。)
彼は、ふしぎそうに、もう一度父の顔を仰いだ。
「あれからもう十二三年にもなるだろうが、おまえといっしょに水を浴びたのは、あれ以来きょうがはじめてじゃないかね。」
なるほど考えてみるとはじめてである。次郎は、しかし、そんなことを言う父がいよいよふしぎでならなかった。
「実は、きょう、県庁の二階からおまえのしおれきった姿を見て、妙におまえのことが気になり、心配しながら帰って来ていたんだ。すると、水飼場の近くで、水に頭をつっこんで泳いでいる人がある。顔をあげたのを見るとおまえだ。私は、その時、どうしたのか、まるで忘れていた十二三年まえのことをふいと思い出してね。それで、つい私も飛びこんでみたくなったんだ。」
次郎は、しみじみとした父の愛情が全身にしみとおるのを感じた。
「二人がいっしょに水泳をやるということが、きょうは妙に運命みたように私には感じられて来たよ。十二三年まえ、おまえがお浜のところからむりやりにつれもどされた時、それからきょう、――たった二度だが、それがふしぎにお前がしょんぼりしている時、ばかりだったのでね。」
いつもの俊亮だと、そんなことを言うときには、少くとも微笑ぐらいはもらすのであったが、きょうはあくまでも生真面目《きまじめ》な顔をしている。それが次郎を一層しんみりさせ、これまで経験したことのない愛情の重みを彼に感じさせた。
彼はだまって父について歩くよりほかなかった。
土手をおりて鶏舎がすぐまえに見え出したころ、俊亮がまた思い出したように言った。
「それはそうと、もうむだ玉をうつのはよした方がいいね。むだ玉は血書だけで沢山だ。時代はどうせ行くところまで行くだろうし、おまえたちが今じたばたしたところで、どうにもなるものではないからね。」
次郎は、理窟を言えば何か言えるような気がした。しかし、ただだまってうなずいた。父の愛情が今は理窟をぬきにして、彼にすべてを納得《なっとく》させたのである。
彼のその日の日記には、しかし、つぎの文句が記されていた。
「――父はいつも愛情をとおして道理を説き、道理の埒内《らちない》で愛情を表現することを忘れない。しかし、わが子の安全を希《ねが》うのが現としての情であるかぎり、時として父の説く道理にも、いくらかのゆが
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