見もありましょうが、さきほどあなたご自身でもお認めのとおり、血書とか血判とかいうことは、とにかくおだやかでありませんし、それに第一、知事さんを相手にしているという点が、中学生らしくない、非常にませたやり方で、背後に何か思想的な関係がありはしないか、というような疑問も、自然、そういうところから生じて来るのではないかと思います。で、いかがでしょう。あの陳情書だけは、ともかくも一応徹回させるように、おたがいに尽力してみましては。」
「承知いたしました。」
と、俊亮は案外あっさりと答えたが、
「ただ、さきほど課長さんにも申上げましたように、それにはある限度がありますので、その点はあらかじめご承知おき願います。」
「その限度とおっしゃる意味は?」
「実は、せがれ自身、今では、血書を書いたのを多少恥じているようにも見うけますので、本人だけなら、むしろ喜んで撤回する気になるかも知れません。しかし、あの血書は、もうせがれ一人のものではなくなっていますし、自分が書いたから自分の勝手になる、というものではありません。ことに、沢山の生徒が血判までやっているとしますと、今さら撤回するなどとせがれが言い出しましたら、どういう結果になりますか、そこいらのことは、せがれ自身に慎重に考えさせたいと思います。」
「なるほど、ご令息としては、そりゃ、すいぶん言い出しにくいことでしょう。しかし、そこを押しきってもらうことが、今の場合必要なことですし、またそれがご令息の責任ではないか、と思いますが……」
俊亮は、けげんそうに相手の顔を見た。が、すぐ、
「せがれは多分、結果をますます悪い方に導くような事はしたがらないだろうと思います。そこはせがれの良心を信じて下すってもいいと思いますが。」
今度は平尾の父がけげんそうな眼をした。そして何か言おうとしたが、ちょうどその時、道一つへだてた中学校の正門のあたりから、にわかに、さわがしいどなり声や、やけに声をはりあげた校歌の合唱がきこえて来た。
みんなの注意はその方にひかれた。中には席を立って窓から下を見おろすものもあった。花山校長もその一人だったが、その顔付は変に硬《こわ》ばって血の気がなかった。
生徒たちは、しかし、計画的に集団行動に出ているようなふうには思えなかった。彼らは校門を出ると次第にばらばらになりながら、いかにも興奮した調子でお互いに何か言い
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