の二人は、何かささやきあいながら、名簿と俊亮の顔とを何度も見くらべている。父兄たちの表情はまちまちで、ある者は心配そうに俊亮の顔をのぞき、ある君は急に腕組みをして居すまいを正し、またある者は自分の顔をかくすようにして警察と憲兵隊の二人を見た。
 しばらく重い沈默がつづいたあと、課長は少し興奮した調子で言った。
「ご家庭での教育のご方針については、私共から立ち入ってとやかく申上げる筋ではありませんが、今度の問題について、ご令息が根本の筋道を誤っていられないとお考えになるのは、どういうものでしょうか。先ほど私から委《くわ》しく申上げましたような事情がおわかり下されば、そうは考えられないと存じますが……」
「私は、せがれが朝倉先生をお慕い申上げるのは当然だと思いますし、またその気持に少しも濁ったところはないと信じておりますので……」
「しかし、それは朝倉教諭がりっぱな教育者であるということを前提にされてのことでしょう。」
「むろんそうです。私は、朝倉先生ほどの教育者は、今の日本には全く珍らしいとさえ考えているのです。」
「すると、私が教諭の人物について申上げたことは、嘘だとお考えでしょうか。」
 俊亮はまた苦笑しながら、
「あなたが故意に嘘をおっしゃったとは考えていません。判断のちがいだと思っているのです。」
「教諭が失言したというのは、たしかな事実ですが、それについてはどうお考えですか。」
「失言というお言葉が、実は、私には腑《ふ》におちないのですが……」
「すると教諭の言ったことは正しいとお考えですね。」
「極めて正しい警世の言葉だと思っています。」
「警世のお言葉ですって?」
「そうです。国民が自分の判断力をねむらせて、権力に追随する危険を戒めた、警世の言葉だと思っているのです。」
「その奥に反軍思想があるとはお考えになりませんか。」
「そうは考えません。反暴力思想があるとは考えていますが。」
 憲兵隊員が県の属官に耳うちした。すると属官がまた課長に耳うちした。課長は上気した顔をしてそれをきいていたが、二三度かるくうなずいたあと、何か決心がつかないらしく、じっと眼をおとして考えこんだ。すると平尾の父が、
「本田さん、いかがでしょう――」
 と、気づまりな空気をほぐすように、いかにもわざとらしい、くだけた調子で言葉をはさんだ。
「問題の根本の見方については、いろいろ意
前へ 次へ
全184ページ中85ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング