「本田さん、よく思いきっておっしゃっていただきました。父兄の方から進んでそういうことを打ちあけていただくということは、決して生徒の不利にはならないと存じます。その点につきましては、県といたしましても、学校といたしましても、十分考慮いたしまして、すべてを処置して行く考えでございますから、どうか御安心を願います。」
俊亮は苦笑しながら、
「私はべつに思いきってお話しいたしたわけでもなく、また、お話しいたしましたことが、せがれの不利になるとか有利になるとか、そんなことを考えていたわけでもありませんが……」
「いや、お気持はよくわかっています。」
と、課長はひとりでしきりにうなずいた。そして両手を鼻の先でもみながら、しばらく眼をおとしていたが、ふと考えついたように、
「で、いかがでしょう。本田さん。私は、この事件をおだやかに解決するには、ともかくもあの血書を撤回してもらわなければならないと思いますが、ご令息によくお話し下すって、そういう方向に導いていただくわけにはまいりますまいか。」
「それは私にはうけあいかねます。」
俊亮の言葉は、みんなをはっとさせたほど、はっきりしていた。
「むろん、課長さんのお言葉は間違いなくせがれに伝えるつもりではいますが。」
「お伝え下さるだけでなく、あなたから説得していただくというわけには参りませんか。」
「ご希望であれば説得もいたしましょう。しかし、それには限度があります。せがれの良心を眠らせるような説得は私には出来かねますので。」
「すると、あなた自身、血書を撤回することが、ご令息の良心に背くとでもお考えでしょうか。」
「いや、必ずしもそうだとは考えていません。しかし、こう申しては何ですが、今度の問題につきましては、せがれは、最初からあくまでも良心的に動いているように思えますし、その点では、親の私でさえ頭がさがるような気がいたしますので、私は、最後まで、せがれ自身の良心に訴えて行動させたいと思っているのです。むろん、まだ中学生のことで、いろいろ小さな点で思慮の足りないところもありましょう。事実、本人もあとで後悔したりしたこともあるようです。しかし根本の筋道さえ誤っていなければ、小さな過ちは却って反省の機会になっていいことだと思いますので、あまり立ち入ったことは言わない方針です。」
課長は校長と顔を見合わせた。うしろにいた警察と憲兵隊
前へ
次へ
全184ページ中84ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング