で、われわれ父兄といたしましても、うっかりして居れないかと存じます。」
平尾の父は言い終って眼鏡をはずし、謄写刷《とうしゃずり》の父兄名簿を眼のまえすれすれに近づけて、左右に視線を動かした。すると、馬田の父が、
「ちょっとお伺いいたしますが――」
と、いんぎんな、しかしどこかにとげのある調子でたずねた。
「お話の通りですと、中心になって動いている生徒はごく少数のようですが、もしおさしつかえなかったら、その名前をはっきり言っていただきたいのですが。」
「名前までは、実は、私、たしかめて居りませんので……」
と、平尾の父はいかにも当惑したように頭をかいた。
「ご令息のお口から、それをおききにはなりませんでしたか。」
「私も、実は、その名前がはっきりすればいいと思いまして、一度たずねてみたこともありますが、せがれの方では、それだけは親にも言いたくないと申すものですから、しいてはたずねないことにしています。あの年輩では、こういうことには妙に義理固いものでして、これは、みなさんにもご経験のあることだと存じますが……ははは。」
馬田の父は笑わなかった。ほかの父兄たちも、にこりともしないで默りこんでいる。何だか平尾の父の笑声がにげ場を失って、戸まどいしているという感じだった。
「みなさん、いかがでしょう――」
と、課長がとりなすように、
「ただ今の平尾さんのお話でよほど真相がはっきりして来たようですが、みなさんからも、ご存じの事実なり、ご判断なりをご腹蔵なくお聞かせ願えれば、なお一層はっきりすると存じますが。」
みんなはおたがいに顔を見合わせただけで、やはり默っている。俊亮は、最初から、腕組をして眼をつぶり、少しのぞけり加減に椅子の背にもたれていたが、この時、ちょっと眼をひらいて課長を見た。しかし、すぐまた眼をつぶってしまった。
「馬田さん、何か……」
課長はこびるような笑顔をして、馬田の父を見た。
「いや、私はきょうは何もしらないで参ったようなわけで。……さきほどからいろいろと承って、内々おどろいている次第です。」
「朝倉教諭のことが問題になっていたことは、むろんご存じだったろうと思いますが。……」
「ええ、それは非公式にいろんな方面からきいてはいました。しかし生徒がそのために血書を書いたり、血判をしたりしたことなんか、全く初耳です。せがれは、そんなことについては
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