ないようなことらしいのです。つまり、自分たちは自分たちの真情を披瀝《ひれき》するだけで、なにも不穏な行動に出ようとしているのではない。むしろストライキなどのような、不穏な行動に出るのを防ぐために、血書を書き血判を求めたのだ。もしそれにも反対する生徒があったら、その生徒こそ却《かえ》って全生徒を不穏な行動にかり立てる者ではないか、というのだそうです。なるほど血書や血判などということは、おだやかではないにしても、生徒の分をこえた行動だとは必ずしもいえない、青年としては、そのぐらいのことをしないでは、本気で留任運動をやったような気がしないだろう、とも考えられますし、それもいけないとなると、自然、もっと悪い方法で感情のはけ口を求める、というようなことにもなるかと存じます。そんなようなわけで、私のせがれも、正面から反対も出来ず、つい代表の一人に加わったというようなわけですが、……ところで、それでは、ストライキのような不穏な行動がそれで実際にくいとめられそうかというと、どうもそうではないらしい。それどころか、血書や血判までして願っているのに、それを容《い》れてくれない、おめおめと引っこんでおれるか、といったような気分が次第に濃厚になって来るらしいのです。私の考えるところでは、ここが非常にかんじんな点で、どうも最初からそうした青年心理をねらって、血書とか血判とかいうことが仕組まれているのではないか、という気がいたすのです。せがれが毎日学校で生徒の動きを見て来ての話によりますと、急先鋒の生徒たちは表立った会合の席ではあくまでストライキに反対をとなえながら、蔭ではひとりびとり[#「ひとりびとり」は底本では「ひとびとり」]の生徒をつかまえて悲憤|慷慨《こうがい》したり、ひそひそとストライキの時期や方法などを話したりしているそうですが、そういうことをききますと、いよいよ私の想像があたっているように思えてならないのです。とにかく、今度の問題は私の見るところでは、決して単純な性質のものではありません。大多数の生徒は、純真な留任運動だと信じてやっているのかも知れませんが、中心になって動いている数名の生徒たちは、決してそうではないと存じます。何でも、その生徒たちは頭もいいし、読書力もあり、いろんな方面の思想にもふれているそうですが、そのうえに、背後から糸をひいている人物もあるらしく想像されますの
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