った。
「それで、道江さん、どうするつもりなんだい。これから。」
次郎は、詰問《きつもん》するようにたずねた。
「一心橋を渡らないで帰ることにするわ。少しまわり道をすればいいんだから。」
「逃げてさえいりゃあ、いいという気なんだな。」
「だって、それよりほかにないでしょう。」
次郎はだまって朝顔の鉢に眼をやった。しぼんだ花が、だらりと、つるにくっついているのが、いやに彼の気持をいらだたせた。すると、
「次郎さんが女でしたら、どうなさる?――」
と、敏子が微笑しながら、
「あたし、やっぱりそっと逃げている方が一番いいと思いますけれど。」
敏子の言葉つきには、道江と同じ意味のことを言うにしても、どことはなしに知性的なひらめきがあった。次郎には、それがはっきり感じられた。それだけに、彼の道江に対する腹立たしさは一層つのるのであった。彼はいかにも不服そうに、しばらく敏子の顔を見つめていたが、
「僕は、女にも、もっと戦う気持があっていいと思うんです。」
「戦う気持なら、そりゃあ女にだってあるわ。」
「じゃあ、戦えばいいんでしょう。逃げてばかりいないで。」
「だって――」
と、今度は道江が眉根をよせて、
「あたし、そんなこと出来ないわ。」
「どうして?」
「どうしてって、負けることわかっているじゃありませんか。男と女ですもの。」
「ばかだな、道江さんは。」
と、次郎はなげるように言ったが、
「僕、道江さんを、腕力で馬田に対抗させようなんて、そんなこと考えているんじゃないよ。」
「では、どうしたらいいの?」
次郎はそっぽを向いて答えなかった。彼女は、馬田に対して、純潔な処女としての烈しい憤りどころか、自分に侮辱を加えた当の相手としてさえ、さほどの憎しみを感じていないのではないか。もし感じているとすれば、そんなよそごとのような答えが出来るはずがない。そう考えると、道江が馬田を「千ちゃん」という親しげな名で呼んでいることまでが腹立たしくなって来た。
「そりゃあ、事をあら立てれば、いくらでも手はあると思うの。だけど、同じ村に住んでいては、そうもいかないし、……」
と、敏子は、ちょっと間をおいて、
「第一、道江だってそんなことをしては、かえって恥ずかしい思いをしなければならないでしょう。」
「道江さんには、ちっとも恥ずかしいことなんかないじゃありませんか。」
「そうはいか
前へ
次へ
全184ページ中55ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング