を通って、縁側に腰をかけると、ぬすむように道江の顔をのぞいた。
「次郎さん、今お帰り?」
 と、道江は、しかし平気な顔をしている。
「たった今。僕、道具をうちに置くと、すぐ来たんだよ。」
「そう? あたしもついさっき来たばかりなの。」
「僕、知っていたんだ。道江さんがこちらの土手を通るのを見ていたんだから。」
「あら、そう?」
 と、道江はちょっと眼を見張って、
「どこから見ていたの?」
「すぐうしろからさ。二丁ぐらいはなれていたかな。」
「あらっ!」
 と、道江は顔を真赤にしながら、
「じゃあ、千ちゃんのいたずら見ていたのね。」
 千太郎というのが馬田の名前なのである。
「いたずら? 僕、馬田がどんないたずらをしていたか知らないよ。僕は、馬田が橋のところに立って道江さんが走って行くのを眺めていたので、変だと思っただけさ。」
 次郎は何でもないような調子でそう言いながら、メスをあてられるまえの、ひやひやした気持で道江の答えをまった。しかし、道江が答えるまえに、敏子が口をはさんだ。
「千ちゃんのいたずらは、きょうだけではないらしいの。」
 そう言って彼女が説明したところによると、馬田のいたずらは、もうきょうで三度目で、いつも一心橋の向こうの土手のかげにねころんだりして、道江の帰りを待伏せている。最初の時は、だしぬけに彼女を呼びとめて手紙を渡した。道江がすぐそれを投げすてると、彼はあわててそれをひろいながら、何かおどかすようなことを言った。二度目は、しつこく道江のそばにくっついて歩きながら、いろんないやらしいことを言い、村の入口近くになっていきなり彼女の手を握ろうとしたが、彼女は大声を立てて逃げた。そしてきょうは三度目だが、道江の方で警戒していて、馬田のいるのがわかったので、すぐ橋を引きかえしてこちらに逃げて来た、というのである。
 道江は敏子が話している間、さほど深刻な表情もしていなかった。次郎はそれが物足りなくもあり、腹立たしくもあった。彼の家の二階で馬田と出っくわした時の様子から判断して、彼女が馬田をひどくきらっていることだけはたしかである。しかし、ただ馬田という人間をきらっているというだけではたよりない。こうしたことについては、女性の立場から、とりわけ純潔な処女の立場から、たえがたいほどの侮辱と憤りとを感じなければならないはずである。彼にはそう思えてならないのだ
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