つきぬけた人だけにしか出来ないことだからである。次郎は青年期に入ってまだ間もない人間だ。幼年時代にうけた心のきずは、そう早く枯れてしまうものではない。そのきずが深ければなおさらのことだ。なるほどそれにこだわるのは、見た目に決していいものではない。本人も、むろん苦しかろう。だがこだわりにこだわって、こだわりぬいたところに、ほんとうにこだわらない道がひらけるのだ。私たちは、そう思って、朝倉先生と共にゆっくり彼の将来を見まもって行きたいのである。

    一〇 淋しき別離

 それから約一年が過ぎた。次郎も、もう三年生である。
 大沢と恭一とは、卒業後そろって高等学校の文科にはいった。大沢は政治に志し、恭一は文学に志していたのである。
 白鳥会も、その間に少しずつ人数を増して行って、三十数名になったが、みな、それぞれの学年で粒よりのものばかりだった。一般の生徒からは、少し変り者扱いにされ、かげでは、「鵞鳥」とか、「あほう鳥」とか、「孔子の枯糞」とか呼ばれることもあったが、それでいて、何とはなしにみんなに尊敬されているといったふうであった。それには大沢の在校中の言動があずかって力があったこと
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