己嫌悪に終らず、その失われた心の平衡が、彼自身を転覆《てんぷく》させるほど甚しいものでなかったことを、むしろ彼のために祝福してやりたいとさえ思うのである。
 だが、この場合にも、われわれは、彼が彼自身の力のみで彼の生命を健全に保つことが出来たと思ってはならない。愛の支えは、いかほど独立不|羈《き》になろうとする生命にとっても必要なのである。愛は、愛を拒もうとするものにこそ、最も聰明《そうめい》に与えられなければならないのだ。
 では、次郎に対してこの役割を果したものは誰だったか。それは、もはや、乳母や、父や、正木老夫婦ではなかった。というのは、彼らのうちのあるものは、それに堪えうるだけの聰明さを十分に持ちあわせていたとはいえ、次郎にとっては、あまりにも身近な相手であり、そして、彼らの愛に溺《おぼ》れることを、彼自身強いて拒もうとしていた相手だったからである。
 この場合、次郎が、権田原先生の教えをうけていたということは、何という仕合わせなことであったろう。権田原先生の教え子に対する愛には、深い思想があり、寛厚で、しかも枯淡な人格のひらめきがあった。そしてその愛の表現には、次郎が強いて拒
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