ていた。
 次郎たちを玄関の近くに待たして、二三人の青年が勝手の方にまわった。しばらくすると、
「ほう、三人、……そうか、そうか。」
 と、奥の方からさびた男の声がして、やがて玄関の板戸ががらりと開いた。
「さあ、お上り。」
 そう言ったのは、もう八十にも近いかと思われる、髪の真白な、面長の老人だった。
 次郎は、山奥に隠栖《いんせい》している剣道の達人をでも見るような気がした。彼は、何かの本で、宮本武蔵が敦賀の山中に伊藤一刀斉を訪ねて行った時のことを読んだことがあったが、それを思い出しながら、おずおず大沢と恭一のあとについて玄関をあがった。
 通されたのは、大きな炉《ろ》の切ってある十畳ほどの広い部屋だった。老人は、
「さあ、あぐらをかいておあたり。寒かったろうな。……何でも、今きくと、藁小屋に寝ていたそうじゃが、あんなところで眠れるかの。」
 と、自分も炉のはたに坐って、茶をいれ出した。
「ふとんより温かいです。」
 大沢が朴訥《ぼくとつ》に答えた。
「ほう。そんなもんかの。で、飯はどうした、まだたべんじゃろ。」
 と、老人は柱時計を見て、
「今から炊《た》かしてもええが、もうみんな寝てしもうたで、今夜は芋でがまんするかの。芋なら炉にほうりこんどくと、すぐじゃが。」
 時計は、もう十二時をまわっていた。大沢は微笑しながら、
「芋をいただきます。」
「そうしてくれるかの。」
 と、老人は自分で立ち上って台所の方に行った。三人は顔を見合わせた。大沢は笑ってうなずいてみせたが、恭一と次郎とは、まだ硬《こわ》ばった顔をしている。
 間もなく老人は小さな笊《ざる》を抱えて来たが、それには里芋がいっぱい盛られていた。
「小さいのがええ。これをこうして灰にいけて置くとすぐじゃ。」
 と、老人は自分で三つ四つ里芋を灰にいけて見せ、
「さあさ、自分たちで勝手におやんなさい。遠慮はいらんからの。」
「有りがとうございます。」
 と、大沢は、すぐ笊を自分の方に引きよせた、すると、老人は、
「なかなか活発じゃ。」
 と、三人を見くらべながら、茶をついでくれた。
 里芋が焼けるまでに、老人は、三人の学校、姓名、年齢、旅行の目的といったようなことをいろいろたずねた。しかし、べつに取調べをしているというふうは少しもなく、ただいたわってやるといったたずねかたであった。恭一も次郎も、しだいに気が楽になって、たずねられるままに素直に返事をした。
「ここの村の若い衆はな、――」
 と老人は言った。
「そりゃあ真面目じゃよ。じゃが、真面目すぎて、おりおりこの老人をびっくりさせることもあるんじゃ。今夜も旅の泥棒が村にはいりこんだ、と言って騒いでな。わしもそれで今まで起きて待っていたわけじゃが、その泥棒というのがあんた方だったんじゃ。はっはっはっ。」
 三人はしきりに頭をかいた。
 やがて里芋が焼け、話がいよいよはずんだ。
 老人は、「若いうちは無茶もええが、筋金《すじがね》の通らん無茶は困るな。」と言った。「あすはわしが案内してええところを見せてやる。」とも言った。また、「そろそろ引きかえして、日田町に一晩泊り、そこから頼山陽を学んで筑水下りをやってみてはどうじゃな。」とも言った。
 時計はとうとう一時を二十分ほどもまわってしまった。それに気づくと、老人は、
「さあ、もう今夜はこのくらいにして、おやすみ。寝床はめいめいでのべてな。……夜具はこの中に沢山はいっているから、すきなだけ重ねるがええ。」
 と、うしろの押入の戸をあけて見せ、
「炉の中に夜具を落したり、足をつっこんだりしないように、気をつけてな。……便所はこちらじゃよ。」
 と、障子をあけて縁側を案内してくれ、しまいに炉火に十分灰をかぶせて部屋を出て行った。
 三人は、床についてからも、老人は何者だろう、とか、自分たちは藁小屋の中で夢を見ているんではないだろうか、とか、そんなことをくすくす笑いながら、かなり永いこと囁き合っていたが、次郎はその間に、ふと、正木のお祖父さんと大巻のお祖父さんのことを思い出し、三人の老人を心の中で比較していた。
 翌朝眼をさますと、もう縁障子には日があかるくさしていた。起きあがってみて、彼らが驚いたことには、畳の上にも、ふとんの中にも、藁屑《わらくず》がさんざんに散らかっていた。彼らは、幸い縁側の突きあたりの壁に箒が一本かかっているのを見つけて、大急ぎでその始末をした。家はずいぶん広いらしく、近くに人のけはいがほとんど[#「ほとんど」は底本では「ほんど」]しなかったが、掃除をどうなりすました頃、三十四五歳ぐらいの女の人が十能に炭火をいれて運んで来た。
「おやおや、お掃除までしてもらいましたかな。ゆうべは、よう寝られませんでしたろ。」
 と、彼女はきちんと坐りこんで、三人のあいさつ
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