まいだね。」
「そりゃあ、そうだ。」
 と、大沢は何か考えているらしかったが、
「じゃあ、この話はもうよそう。」
 次郎は、何かいやなあと味を残されたような気持だった。しかし、大沢も恭一も、それっきり静かになってしまったので、いつの間にか自分も眠りに落ちていった。

    三 無計画の計画(※[#ローマ数字2、1−13−22])

 それからどのくらいの時間がたったのか、次郎は、小屋のそとから誰かしきりにどなっているような声をきいて、はっと眼をさました。
「起きろっ。」
「出て来いっ。」
「ぐずぐずすると、身のためにならんぞっ。」
 それは一人や二人の声ではないらしかった。次郎は、さすがに胸がどきついて、息づかいが荒くなるのをどうすることも出来なかった。彼はそっと恭一をゆすぶってみた。すると恭一は、もうとうに眼をさましていたらしく、次郎の手を握って静かにせい、と合図をした。同時に、
「僕に任しとけ。」
 と、大沢の囁《ささや》く声がきこえた。
 そとの人声は、しばらく戸口のところにかたまって、がやがや騒いでいたが、
「きっと、ここじゃよ。路をこっちにおりたとこまで、おらあ見届けておいたんじゃよ。あけてみい。」
 と誰かが命ずるように言った。
 戸ががらりとあくと、提灯の灯らしい、黄色い明りが、屋根うらの煤けた竹をうっすらと光らした。それが、闇に慣れた三人の眼には、眩ゆいように感じられた。
「おや、一人ではねえぞ。あいつは靴じゃったが、下駄もある。」
「靴が二足あるでねえか。すると三人じゃよ。」
「そうじゃ、たしかに三人じゃ。ようし、のがすなっ。一人ものがすなっ。」
 誰かが変に力んだ声で言った。
「おい、書生、にせ学生、出て来いっ。」
「出て来んと火をつけるぞっ。」
 大沢が、その時、途方もない大きなあくびをして起きあがった。すると、下の騒ぎは急にぴたりとしずまった。次郎は、その瞬間、何か最後の決意といったようなものを感じて、全身が熱くなるのを覚えた。
「兄さん、起きよう。」
 言うなり、彼ははね起きた。大沢は、しかし、すぐ彼の肩を押さえ、低い声で、
「待て、待て、僕が会ってみるから。」
 次郎は何か叱られたような、それでいて、ほっとした気持だった。
 間もなく、大沢は積藁の端のところまではって行ったが、
「どうもすみません。しかし、僕たちは中学生です。決して怪しい者ではありません。今夜一晩ここに寝せてくれませんか。」
 と、いやにていねいな調子だった。
「ばかこけっ。」
 と、下の声がどなった。
「怪しいものでのうて、こんなところに寝る奴があるけい。」
「泊《と》めてくれる家がなかったもんですから。……」
「理窟はどうでもええ。とにかくおらたちと村までついてくるんじゃ。」
「そうですか、じゃあ行きましょう。」
 大沢は、いきなりどしんと土間に飛びおりた。恭一と次郎とは、思わず手を握りあって、息をはずませた。
「一人じゃねえだろう。三人とも行くんじゃよ。」
 村の人たちの声には、どこかおずおずしたところがあった。
「かわいそうですよ、今から起してつれて行くのは。ことに一人はまだ小さい一年生ですから。」
「何でもええから、つれてゆくんじゃよ。つれてゆかねえじゃ、おらたちの務めが果たせねえでな。」
 しばらく沈默がつづいた。その沈默を破って、次郎が藁の中から叫んだ。
「大沢さん、僕たちも行きますよ。」
「そうか。……じゃあ、すまんが起きてくれ。どうも仕方がなさそうだ。」
 大沢が、あきらめたように答えた。
 二人が起きて行くと、村の人たちは、めいめいに大きな棒を握って、大沢をとりまいていた。三十歳前後から十五六歳までの青年がおよそ十四五人である。しかし、恭一の品のいい顔と、次郎の小さい体とを見ると、案外だという顔をして、少し構えをゆるめた。
 年長者らしいのが、提灯で恭一と次郎の顔をてらすようにしながら、
「おらたち、村の見張りを受持っているんでな。気の毒じゃが仕方がねえ。」
 と、言訳らしく言って、
「じゃあ、ええか。」
 と、みんなは目くばせした。
 外に出ると、青年たちは、三人の前後に二手にわかれて、ものものしく警戒しながら歩き出した。畦道を一列になって歩いたが、かなり長い列だった。提灯が先頭と後尾にゆらゆらとゆれた。次郎は三人のうちでは先頭だったが、自分のすぐ前に、大きな男が棒をどしんどしんとわざとらしくついて行くのを、皮肉な気持で仰いだ。そして歩いて行くうちに、しだいに寒さが身にしみ、踵のあかぎれがつきあげるように痛み出すと、もう「人を愛する」といったような気持とは、まるでべつな気持になっていた。
 つれて行かれたのは、この辺の山村にしては不似合なほど大きな門のある家で、玄関には一畳ほどの古風な式台《しきだい》さえつい
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