ながら、
「いずれ、そのお話、あたしも白鳥会の時に伺わせていただきますわ。」
「ううむ――」
と、朝倉先生は、考えていたが、
「白鳥会の話題にするには少し工合がわるいね。問題としては実にいい問題なんだが、本田の家の内輪の事情にも関係があるんだから。」
「そう? じゃあ、あたしも伺わない方がようございますわね。」
奥さんは、そう言って、いかにも心配そうに次郎を見た。
「いや、お前には知っていて貰った方がいいだろう。これからは、私がいなくても、急に本田の相談相手になって貰わなきゃならん場合もあるだろうからね。」
「あたしがご相談相手に?……どんなことでしょう。あたしに出来ますことか知ら。」
「くわしいことはあとで話すよ。……本田、どうだい、小母さんにだけは話してもいいだろう。」
「ええ。」
次郎は、少し顔を赧《あか》らめて答えた。彼は、朝倉先生がどんなつもりで奥さんだけに今日の話をしようというのか、その真意は少しもわからなかった。しかし、とにかく、自分のことを何もかも奥さんに知ってもらうことに少しも異存はなかったし、むしろそれにある悦《よろこ》びをさえ感じているのだった。
朝倉先生は、コップをのみほして、その底を手のひらで撫《な》でながら、奥さんに向かって、
「それはそうと、こないだお前と話していたミケランゼロの話ね。」
「ええ。」
「あの話を今日本田にもきかしてやったんだよ。ちょうどぴったりするものだからね。」
「まあそうでしたの? そんなにぴったりしたんですの?」
奥さんは、少しはずんだ調子で、どちらにたずねるともなくたずねた。しかし、答えはどちらからもなかった。二人はただ微笑しているだけだった。
「それで、本田さんは、あの意味、ご自分でお解きになりましたの?」
「そりゃあ解いたとも、さすがに苦しんだだけあって、お前なんかのように二日も三日もひねりまわしてはいないよ。そこが遊びと血の出るような体験とのちがいでね。」
「まあ、遊びだなんて。」
と、奥さんは、心からの不平でもなさそうに笑いながら言ったが、急に眉根をよせて、
「でも、本田さん、そんなにお苦しみになりまして?」
「そりゃあ、本田の年頃にしちゃあ相当の苦しみだったろうよ。とにかく料理屋のお内儀を相手に鑿をふるおうというんだからね。」
「鑿を?」
奥さんは眼を円くして次郎を見た。
「はっはっはっ。
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