次郎は、二人の言葉から、自分のいなかった間の家の様子を直感して、うれしいような悲しいような気持になった。彼は、しかし、すぐ台所に行く気にはなれず、そのまま俊亮のまえにかしこまって首をたれた。
「次郎ちゃん、ご飯は?」
お芳が台所から声をかけた。
「あとでいいです。」
次郎は首をたれたまま答えた。
「どうしたんだ。早くたべたらどうだ。」
俊亮は、そう言って、ひろげていた帳簿をばたばたとたたんだが、すぐ団扇をもって座敷の方に立って行った。
次郎は、ひとり取残されて、もじもじしながら、台所の方を見た。するとお芳が妙に意味ありげな眼付をしてうなずいて見せたので、思いきって、ちゃぶ台のそばに坐ることにした。
「お祖母さんは?」
次郎は、お芳に飯を盛ってもらいながら、たずねた。
「さっき、次郎ちゃんを探して来るって、俊ちゃんと二人でお出かけになったんだよ。たぶん橋の方だと思うけれど。……次郎ちゃんは、どちらからお帰り。」
「僕、橋の方から帰って来たんです。天神様にいたんですけれど。」
「じゃあ、お祖母さんは橋を渡って向こうにいらしったのかも知れないわ。」
それからしばらく、どちらからも口をきかなかった。次郎は、たべかけた飯椀を急に下に置き、箸を持った手を膝にのせ、何か思案していたが、
「僕、今日はお父さんに済まないことをしちまったんです。」
「ええ……」
と、お芳は、あいまいな返事をしたが、しばらく間を置いて、
「実はお父さんも、仙吉にその話をおききになって、そりゃあびっくりなすったの。それに、お祖母さんが、今日はめずらしく次郎ちゃんの肩をもって、かえってお父さんが気がきかないように仰しゃるものだから、よけいいけなかったわ。お父さんは、そんなことをいいことのように次郎ちゃんに思わせるのが恐ろしいことだと仰しゃってね。あたし、今日は、ほんとにどうなることかと思ったわ。お父さんが、あんなに真青な顔をしてお祖母さんと言いあいをなさるなんて、全くはじめてですものね。でも、もう大丈夫だわ。お祖母さんも、あとでは、自分が悪かったって、折れていらっしったようだから。」
次郎は、じっと考えこんだ。それから、思い出したように飯をかきこみ、すぐ茶にしたが、
「しかし、春月亭は、まだあれっきりでしょう。」
「ええ、でも、その方はお父さんがご自分で何とかなさるおつもりらしいわ。ひょっ
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