人間が強いのではなくて、何かもっと大きな力がその奥に仂いているからにちがいない。)
彼の考えは、いつの間にか神というものにぶっつかっていた。それは、彼がたった今拝んだ天神様とは限らない、眼に見えぬ秘密な力だった。むろん、それが彼の胸深く信仰という形をとるまでには、まだ非常に距離があるらしかった。しかし、それは決して概念の戯《たわむ》れではなかった。彼は少くとも真に彼自身の弱さを知り、心からへり下りたい気持になっていたのである。それは、彼が中学に入学して間もないころ、「人に愛される喜び」から「人を愛する喜び」への転機において経験したものよりも、はるかに純粋な経験だった。前の経験では、それが彼の健気な道心の発露であったとはいえ、その中にはまだ作為の跡があり、自負や功名心がいくぶん手伝っていなかったとはいえなかった。今の次郎には、そうしたまじり気は少しもなかった。彼はただひしひしと自分の弱さを感じていた。そして宝鏡先生は、もはや一段高い立場から同情される人ではなくて、同じ弱い人間として、心から親しんで行きたい人になっていたのである。そこには、もう、「愛されたい」とか「愛したい」とかいうような、自分自身を価値づけた立場は少しも残されていなかった。在るものはただ大いなるものにへり下る心だけであり、そのへり下る心から、宝鏡先生のような弱い心の人が、悲しいまでに彼に親しまれて来たのである。
この純粋な気持は、彼の胸をふしぎに爽《さわ》やかにした。同時に彼は、一刻も早く父のまえに身をなげ出して謝りたい気持になった。その気持には、もう何のはからいもなかったのである。
(そうだ。父さんは、もうとうに帰って来ておいでだろう。ぐずぐずしては居れない。)
彼は、急いで鳥居をくぐり、ふたたび川沿いの路に出たが、向う岸の暗い青田から水を渡って吹いて来る風は彼の額に凉しかった。彼は、いくぶんはずむような足どりで家に急いだ。
一三 日よけ
帰ってみると、俊亮は默然として茶の間に坐っていた。二三冊の帳簿をまえにひろげ、団扇も使わないで、じっと何か考えているふうだったが、次郎を見ると、すぐ台所の方を向いて言った。
「お芳、次郎が帰って来たよ。」
台所では、お芳がもう食事のあと片づけをしているところだったが、
「あら、そう。……次郎ちゃん、ひもじかったでしょう。どこへ行ってたの。」
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