が出ないということを知らなかった彼らは、宝鏡先生は退職したとばかり思いこんでいたのである。次郎もその一人だったが、彼はその瞬間、これまで伏せていた眼をあげて、思わず宝鏡先生を見た。宝鏡先生は、いつもとちがって、職員席の最前列の、しかも、校長席のすぐ隣に、仁王のように厳めしく立っていたが、その汗を浮かしているらしい額も、次郎には、その時、あまり苦にならなかった。
 校長の言葉は、ほんの二三分で終った。そうした場合、事実とちがった月並の讃辞をのべたてるようなことは、これまで校長の決してやらないことだったが、宝鏡先生についても、校長は、ただ次のようなことを述べたきりだった。
「先生が御在任中、ただの一時間も授業を休まれないで、諸君の教育に当って下すったことは感謝にたえない。これは、先生の御健康のたまものであるが、また私事をもって公事をおろそかにされない先生の御精神が然らしめたものだと思う。私は、それを先生が本校に遺された最大の教訓として、諸君と共に有りがたくおうけしたいと思う。」
 次郎は、宝鏡先生がそれだけでも校長にほめてもらったことが、何かうれしかった。しかし、とりわけ彼の心にしみたのは、校長がそのあとにのべた言葉だった。
「諸君は、今後、いつ先生と再会の期があるかわからないが、一たび結ばれた師弟の縁は永久に消えるものではない。それは親子の縁が永久であるのと同様である。諸君が将来、社会的にどんな高い地位につこうと、或はその反対に、どんな逆境に沈もうと、宝鏡先生はやはり諸君の先生として、諸君を見て下さるだろう。私は、諸君が将来どこかで先生の膝下に参じ、過去の思い出を語りあい、更に何かとお教えを乞う機会があることを確信する。」
 次郎は、変に悲しいような気持になって、首を垂れた。
 やがて宝鏡先生が校長に代って壇に立ったが、その顔はいくぶん蒼ざめて硬《こわ》ばっていた。先生は、先ず手巾《ハンカチ》で顔の汗をふき、どこを見るともなく、その大きな眼をきょろきょろさせた。それから、だしぬけにどなるような声で挨拶をはじめたが、それには順序も何もなかった。ただ、不思議に言葉だけは滔々《とうとう》とつづき、しかも「授業を一時間も休まなかった」とか、「私事をもって公事をおろそかにしなかった」とかいうような、校長のほめ言葉を何度も自分でくりかえしては、やたらに謙遜《けんそん》したり、感激
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