人の顔を注意ぶかく観察した。それは幅の広い、ぼやけたような顔だった。ただ、笑うと右の頬に大きな笑くばが出来るのが、はっきり次郎の眼にうつった。
 次郎は、その顔からべつに不快な感じはうけなかった。しかし、記憶に残っている母の引きしまった顔とくらべて、何だか気のぬけた顔だと思った。
 俊亮は、座敷に残ったまま、二人を送って出なかった。そして、それから老夫婦と二十分ほど何か話したあと、帰り支度をはじめた。次郎は彼の顔にも注意を怠らなかったが、別にいつもと変った様子がなかった。
「次郎はまだ起きていたのか。」
 あっさりそう言って、上り框《がまち》をおりた父の様子には、次郎だけが味わいうるいつもの親しさがあった。次郎は何か知ら安心したような気持になった。
 俊亮は土間で自転車に燈《ひ》を入れながら、お祖母さんに向かって言った。
「急にっていうわけにも行きますまいが、いずれ母の考えもききました上で、手紙ででもご返事いたしますから。」
 次郎はそれでまた変な気になった。
 彼は床にはいってからも、ぼやけたような顔だと思った女の顔を、案外はっきり思いうかべた。そして何度もねがえりをうった。

  
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