った。
「いや、先方はまだ何も知りませんのじゃ。」
 お祖父さんの声である。つづいてお祖母さんの声がきこえる。
「先方では、あんたが、きょうこちらにお見えのことも知らないでいるはずでございますよ。きょうは私どもの急な思いつきで、顔だけでもあんたに見ておいてもらったら、と思いましてね。幸い先方が訪ねて来るというものですから。」
「なあに、いけなけりゃ、いけないで、ちっとも構いませんのじゃ。じゃが、仏に対する遠慮なら、もう無用にしてもらいましょう。ちっとでも次郎のためになることなら、仏も喜びましょうからな。」
 次郎はもう動けなくなった。
「そりゃあ、気が利かないうえに、学校も小学校きりでございますから、何かと足りないがちだろうとは思います。ただすなおなのが取柄でございましてね。」
「生半可《なまはんか》に気が利いたり、学問があったりするのは、こういう場合には、かえってよくないものじゃ。ことに、次郎にはやさしいのが何よりじゃでのう。」
 次郎はいつの間にか、襖の方に二三歩近づいていた。彼にはもう、話の内容がおぼろげながらわかりかけて来たのである。
「しかし――」
 と、はじめて俊亮の声がき
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