そのくせ、首を強く縦《たて》に動かした。そして、お延がまだ疑わしそうな眼をして、自分の顔をのぞいているのを見ると、
「ほんとうさ。」
と、おこったように言って、ぷいと座を立った。
「じゃあ、お祝いに、叔母さんがこれから御馳走をこさえるわ。」
お延は、追っかけるようにそう言って、お針の道具をしまいはじめた。
次郎は、ふり向きもしないで土間におり、門口を出たが、足はひとりでに墓地に向かっていた。
墓地をかこむ女竹《めだけ》林は、暮近い風に吹かれて、さむざむと鳴っていた。次郎は、母の墓がきょうは妙に寄りつきにくいような気がして、しばらくは、五六間もはなれたところから、じっとそれを見つめていた。
そのうち、彼はふと、去年の夏休みに、恭一と俊三とが久方ぶりに母の見舞に来ていたのを、本田のお祖母さんが、いろいろと口実《こうじつ》を設けてつれ帰った時のことを思い起こした。
彼は、恭一たちが帰ったあと、母の眼尻から、彼の全く予期しなかったものが真珠のようにこぼれ落ちたのを、今でもはっきり覚えている。ことに、うるんだ眼で微笑しながら、「次郎だけはいつもあたしのそばにいてもらえるわね」と言った、あの悲しい言葉は、忘れようとしても忘れられない言葉だった。
(次郎だけは――次郎だけは――)
と、彼は何度も心の中で母の言葉をくりかえした。そして、ひきつけられるように墓に近づいて行った。
墓はまだ土饅頭《どまんじゅう》のままだったが、ところどころに、しめった落葉がぴったりとくっついていた。彼は手で一枚一枚それをはがして行くうちに、急に悲しさがこみあげて来た。
彼はしゃがんで掌《て》を合わせ、額《ひたい》をその上にのせて眼をつぶった。そして、このごろ忘れがちになっていた母の顔を、一心に思い浮かべようとした。
しかし、彼の眼にすぐ浮かんで来たものは、母の顔ではなくて、「お芳さん」の顔だった。えくぼがはっきり見える。彼はそれを払いのけるように頭をふった。そして、小声で、
「母さん――母さん――」
と呼んでみた。しかし母の顔はどうしてもはっきり浮かんで来ない。浮かんで来たと思った母の顔は、いつも「お芳さん」の幅の広い顔にかくれてぼやけていた。
彼は、もう、悲しいというよりは、何か恐ろしいような気になって来た。そして、手の甲でやけに眼をこすりながら立ち上ったが、一瞬、土饅頭に視線を落したあと、逃げるように墓地の入口に向かって走り出した。
*
夕飯には、お芳も台所に来て、みんなといっしょにちゃぶ台についた。ご馳走は大したこともなかったが、赤飯が炊《た》いてあり、酢《す》のものがついていた。次郎はお芳とならんで坐らされたが、始終むっつりしていた。
お芳の方は、はた目には物足りないほど平気な顔をしていた。強いて次郎にちやほやするのでもなく、さればといって、次郎のむっつりしているのを不快に思うようなふうもなかった。彼女は、ただ、自分の食べるものだけを食べてさえいればいい、といったふうに、はた目には見えた。
お祖母さんとお延とが、おりおり、気をきかして、
「次郎のお母さん、これいかが。」
と、丼のものなどを二人の前に押しやったりした。お芳は、それでも、
「はい、ありがとう。」
と言ったきり、次郎の皿にそれをわけてやろうとする気《け》ぶりも見せなかった。
次郎には、丼のものはどうでもよかった。彼は、しかし、「次郎のお母さん」という言葉をきくごとに、従兄弟たちの視線を顔いっぱいに感じて、気が重くなり、物を噛むのでさえおっくうになった。
夕食後、「次郎のお母さんのお土産」だといって、みんなに煎餅《せんべい》がふるまわれた。大人たちも子供たちも茶の間に集まって、それを食べた。
お祖父さんは朝から留守だったが、ちょうどその最中に帰って来た。そして、
「ほう、にぎやかだのう。」
と、みんなのなかに、次郎とお芳の顔をさがしながら、座敷の方に行った。お祖母さんとお芳とがすぐそのあとについた。
しばらくすると、お芳がまた茶の間の入口に来て、例のえくぼを見せながら、
「次郎ちゃん、ちょいと。」
と手招《てまね》きした。
次郎は相変らずむっつりしていたが、呼ばれるままに立っていった。するとお芳は、襖のかげの小暗いところで、包紙にくるんだ平たい箱を次郎に渡しながら言った。
「これはね、次郎ちゃんへのお土産。きょうお祖父さんが町にいらしったので、お頼みして買って来ていただいたの。」
次郎は、顔を真赧《まっか》にして、茶の間に帰った。お芳もそのあとからついて来た。みんなの視線がいっせいに次郎のさげているお土産の包にそそがれた。次郎は、もとの場所に坐るには坐ったが、その包の置き場に困って、膝にのせたり、尻のあたりに置いたりしていた。
「次郎
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