そのためには、本田の弟のような、不正に屈しない魂をあくまでも擁護しなければならんのだ。問題は、四年生の権威がどうの、名誉がどうのというような、そんなけちけちしたことにあるんじゃない。大垣校長の謂《いわ》ゆる大慈悲の精神に生き、全校の正義を護ろうと言うんだ。おれの言ったことを誤解せんようにしてくれ。」
大沢にしては、めずらしく激越な調子だった。みんなは鳴りをしずめて聴いていた。
誰よりも感激したのは、恭一だった。正義感の鋭いわりに、気の弱い彼は、大沢のこの言葉で、力強い支柱を得たような気がした。彼は、何よりも、それを次郎のために喜んだ。そして、その日の授業が終るまでに、彼は、次郎の生い立ちや、彼自身の次郎についての考えなどを、何もかも、大沢に打ち明けた。
大沢は、恭一の話をきいているうちに、いよいよ次郎に興味を覚えたらしかった。彼は最後の、授業が終ると、言った。
「さっそく会ってみたくなったね。今日、君の家に行ってもいいかい。」
「いいとも。今からいっしょに行こう。」
「よし行こう。しかし、僕らがバックする話は秘密だぜ。うっかりしゃべらんようにしてくれ。」
「うむ、わかってるよ。」
二人は校門を出てからも、しきりに次郎のことを話しながら歩いた。
二人よりもちょっとまえに、次郎も帰って来ていた。彼はもう机について、日記か何かをしきりに書いていたが、恭一のあとから大沢がはいって来たのを見ると、思わずいやな顔をした。五年生にしても老《ふ》けている大沢の顔付や、その堂々たる体格が、恭一の同級生だとは、彼にはどうしても思えなかったのである。彼の頭には、すぐ雨天体操場の光景が浮かんで来た。山犬や、狐や、三つボタンの仲間ではあるまいか。そう思うと、恭一がそんな生徒をつれて来たのが、腹立たしい気がした。彼は、しかし、仕方なしに、大沢に向って窮屈そうなお辞儀をした。
大沢は「やあ」とお辞儀をかえして、あぐらをかきながら、
「次郎君だね。」
と、恭一にたずねた。
「うむ。」
次郎の神経は敏感に動いた。
(二人は、自分のことを、もう何か話しあったにちがいない。)
彼は、そう思うと、同時に大沢の襟章に注意した。それは四年の襟章だった。彼は、おやっ、という気がした。
「大沢君っていうよ。僕の親友で、同じクラスなんだ。」
恭一にそう言われて、次郎はあらためて大沢を見た。張りきった浅黒い顔には、頬から顎にかけて一分ほどにのびた髯さえ、まばらに見える。どう見ても恭一の仲間らしくない。彼は、大沢が五年生でないことがわかって急に楽な気持になったが、同時に、何か滑稽なような気もした。
「みんなで僕を親爺って言うんだよ、わっはっはっ。」
大沢は自分でそう言って、次郎を笑わした。次郎は、それですっかり彼に好感を覚えたらしく、坐りかたまで楽になった。
三人はそれから、恭一が階下から持って来た煎餅をかじりながら、いろんな話をした。これといってまとまった話題もなかったが、三人とも少しも飽いた様子がなかった。学校の話もおりおり出た。しかし、次郎は、雨天体操場事件について、自分から話し出そうとは決してしなかった。
おおかた一時間ほどもたったころ、とうとう大沢がたずねた。
「きのうは、どうだったい、雨天体操場では?」
次郎は大沢には答えないで、恭一の方を見た。そして、
「恭ちゃん、何か聞いた?」
「うむ、きいたよ。もう学校ではみんな知ってるよ。」
「そうか。……だけど、うちじゃ誰もまだ知らんだろう。」
「そりゃあ、知らんだろう。」
「誰にも言わんでおいてくれよ。」
「どうして? いいじゃないか、ちっとも恥ずかしいことなんかないんだもの。」
「父さんだけならいいけど……」
次郎の気持は、恭一にはすぐわかった。
しばらく沈默がつづいたが、大沢はにこにこして、
「学校がいやになりゃしない。」
「そんなこと、ありません。」
次郎は怒ったような調子だった。
「五年生、こわくない?」
「平気です。だって、僕、何も悪いことしてないんだから。」
「僕は五年生に友達がいくらもあるんだが、これからいじめないように頼んでおこうか。」
「馬鹿にしてらあ。――」
と、次郎は大沢をさげすむように見て、
「そんなこと頼むの、卑怯です。」
「だって、うるさいぜ。今年の五年生には、あっさりしないのが、ずいぶんいるんだから。」
「いいです、うるさくたって、卑怯者になるより、よっぽどましです。」
「そうか。で、どうするんだい、これから?」
「どうもしません。あたりまえにしているだけです。」
「あたりまえにしていても、生意気だって言ったら?」
「しようがないさ。」
「默ってなぐられているんだな?」
「默ってなんかいるもんか。」
「しかし喧嘩したって、かないっこないぜ。それに、あんな連中
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