い、本田の弟だったら、これから狐なんかにいじめられないように、四年生でバックしてやろうじゃないか。」
「よかろう。」
 すぐ賛成者があった。
「どうせやる以上は、堂々の陣《じん》を張って、だらしのない今度の五年生を反省させるところまで行くんだな。」
「むろんだ。個人の問題じゃつまらんよ。」
「しかし、そうなると、いよいよ四年対五年の対立になるが、それでもいいかね。」
 と自重論が出て来た。
「かまうもんか、これも校風|刷新《さっしん》のためだ。」
「しかし、下級生をバックして五年生に対抗するのは、やぶ蛇だぜ。来年は僕らが五年生だからね。」
 と、今度は伝統尊重論があらわれて来た。
「そんな馬鹿なことがあるもんか。われわれの護《まも》りたいのは正義だ。正義のあるところには必ず秩序が保たれる。正義は秩序に先んずるんだ。」
「秩序を破って、正義がどこにあるんだ。」
 そこいらまでは、さほど真剣だとも思われなかった議論が、当面の問題をはなれて次第に観念的になるにつれて、かえってみんなの調子が烈しくなって来るのだった。
 大沢は、しばらくは、にこにこしてそれを聴いていたが、そろそろみんなが喧嘩腰になって来たのをみると、だしぬけに怒鳴った。
「よせ! そんな議論をしたって、なんの役に立つんだ。」
 それから恭一の方を見て、
「本田はどうだ。四年生にバックしてもらいたいのか。」
「僕は、いやだ。」
 恭一は、唇のへんを神経的にふるわせながらも、きっぱりと答えた。
「そうだろう。僕も四年生全体の名でバックするのは不賛成だ。」
 大沢はゆったりとそう言って、みんなを見まわした。
「どうしてだい。」
 と、最初の提案者《ていあんしゃ》が、ちょっと間をおいて、たずねた。それはいかにも自信のないたずねようだった。
「本田の弟を侮辱したくないからさ。」
 みんなは、それで默りこんだ。すると大沢は恭一を見ながら、
「しかし、本田、このまま放っとくと危いぜ。ことに狐の奴と来たら執念《しゅうねん》深いからな。頬ぺたを下級生にひっかかれて默っちゃおらんだろう。」
「僕もそうだろうと思うが……。」
 恭一はいかにも不安そうな顔をしている。
「だから、陰ながらバックしてやるさ。僕だって、それはやるよ。五年生にも話せばわかる奴はいるんだから、狐だけぐらいは何とか手出しさせんですむかも知れん。……四年生全体がバックするなんて言うと、大げさになるし、そうなると、五年生だって負けてはいないだろう。それでは学校が大騒ぎになる上に、君の弟のためにもかえって悪いよ。四年生に侮辱された上に、五年生全体にいじめられることになるんだからね。……どうだい、諸君、みんながそのつもりで、目立たないように本田の弟をバックしてやろうじゃないか。」
 方々で賛成の声がきこえた。
「なるほど、そいつは名案だ。そんな工合にやると、五年生に対して自然四年生の権威を示すことも出来るわけだ。」
 誰かがそんなことを言った。
「おい、おい――」
 と、大沢はその生徒を見て、
「そんなけちなことを考えるのは、よせ。僕らは、四年とか五年とかいうことにこだわる必要はないんだ。それよりか、一年から五年までの正しい生徒が、縦《たて》に手を握りあうことが大切じゃないか。本田の弟も、その正しい生徒の一人だ。だから僕らはそれをバックしようと言うんだ。……四年生にだって、つまらん奴はいくらも居る。――僕らは――少くとも僕だけは――そんな奴とは手を握りたくない。そんな奴と手を掘って、五年生に対抗したって、それが何になるんだ。」
 彼は、いつの間にか、演説でもするような態度になって、つづけた。
「元来、正義は階級にあるんじゃないんだ。どんな階級にだって、正しい人もいれば、正しくない人もいる。正義は、それをもっている一人一人の胸にしかないんだ。五年生は五年生なるが故に正義の持主ではない。同様に僕らも、四年生なるが故に正義の擁護者だと主張するわけにはいかない。四年生とか五年生とかいうことは、要するに正義とは何の関係もないことなんだ。それをいかにも関係があるかのように思いこんでいるところに、この学校の病根があり、校風のあがらない大きな原因があるんだ。この学校では、上級の名においていつも正義が蹂躙《じゅうりん》されている。現に本田の弟の場合がそれだ。僕はもう一度はっきり言う、正義は階級になくて人にあるんだ。もしそうでなければ、全校一致も期待出来ない。それが期待出来るのは、正義が階級の独占物《どくせんぶつ》でなくて、何人の胸にも宿りうるからだ。だから僕は、同級生の団結よりも、正しい人の団結が先ず必要だと思う。僕は四年生を愛し、五年生を憎むために、本田の弟をバックしようと言うんじゃない。僕は学校全体を愛するんだ。学校全体の正義を愛するんだ。
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