母さんときまっているじゃないか。」
「誰がそんなこと決めたんだ。」
「お祖母さんが、いつもそう言ってらあ。」
 この対話が、次郎だけでなく、みんなの心を刺戟したのはいうまでもなかった。一瞬、鍋の煮立つ音が、いやに誰の耳にもついた。
 次郎は、しかし、同時に気持のうえで妙な矛盾《むじゅん》に陥っていた。というのは、もし、家族六人を二人ずつ組み合せるとすれば、俊三の言った組合わせこそ、次郎にとっては、最も好もしい組合わせだったからである。
(母さんなんか、どうでもいいや。)
 彼は、そんなふうにも、ちょっと考えてみた。しかし、そう考えると、やはりまた気持が落ちつかなかった。
「父さん!」
 と、その時、沈默を破って、だしぬけに恭一が言った。
「僕、そんなふうに二人ずつ組み合わせるのは、非常にいけないと思うんです、父さんは、それをいいと思うんですか。」
「そうさね。」
 と俊亮は、わざとお祖母さんの方を見ないようにして、ちょっと考えていたが、
「まあ、しかし、そんなことはどうでもいいだろう。」
「どうでもよくないんです。」
 恭一はがらりと箸を投げすてて、泣くような声で叫んだ。
「お祖母さんは僕だけのお祖母さんではないんです。次郎ちゃんにも、俊ちゃんにも、お祖母さんです。父さんだって、母さんだって、やっぱり三人の父さんと母さんでしょう。」
「そうさ。あたりまえじゃないか。」
「じゃあ、なぜ、次郎ちゃんが久しぶりで帰って来たのに、お祖母さんも……母さんも……」
 恭一はそう言いかけて、両手で顔を蔽《おお》うた。そして、やにわに立ちあがって二階にかけ上ってしまった。
 俊亮は大きなため息をついた。お祖母さんは不安な眼をして恭一のあとを見送ったが、すぐその眼を転じて鋭く次郎を見つめた。お芳はじっとうなだれていた。俊三は牛肉をかみやめて、お芳の顔をのぞきこんだ。そして次郎は箸を握ったまま、ぽたぽたと涙を膝にこぼしていた。
 鍋の中のものは、かなり景気よく煮立っていたが、その音は何か遠くの物音を聞くようであった。

    一一 蘭の画

 変にもつれた気分が翌朝になっても解けなかった。
 沈默がちな、まずい朝飯をすますと、俊亮は、茶の間の長火鉢のはたで、いつまでも一枚の新聞に目をさらしていた。恭一と次郎とは、何度もその前を行ったり来たりして、座敷の方に姿を消した。お祖母さんは仏間で何かかたことと音を立てていた。そしてお芳は、おくれて起きてきた俊三のために、台所でお給仕をしてやっていた。
 そこへ、だしぬけに、家の中の空気にそぐわない、はればれとした声で、
「お早う!」
 と挨拶をして、黒のつめ襟の服を着た人がはいって来た。大巻徹太郎だった。
「やあ、お早う。さあどうぞ。」
 と、俊亮は坐ったままで彼に挨拶をかえし、長火鉢の向こうに敷いてあった座蒲団をうらがえしにした。徹太郎はその上に無遠慮《ぶえんりょ》にあぐらをかきながら、
「ゆうべは宿直で、今帰るところです。」
「そう。それはお疲れでしょう。……ご飯は。」
「学校ですまして来ました。……ところで次郎君は来ていませんかね。」
「来ていますよ。」
「じゃあ、今日は、今から私のうちにつれて行きたいと思いますが、どうでしょう。恭一君も俊三君もいっしょに。」
「それは、よろこぶでしょう。……おい、次郎……恭一。」
 俊亮が呼ぶと、二人はすぐ座敷の方から出て来た。
「やあ、次郎君、やっぱり来ていたんだね。どうだい、きょうは三人そろって叔父さんについて来ないか。お祖父さんもお祖母さんも待ってるぜ。」
 次郎は突っ立ったまま恭一の顔を見た。彼は徹太郎にこんなふうに親しく話しかけられるのが、きょうは何かそぐわない気持だったのである。
 恭一も変に落ちつかない眼をしていた。
「まあ、徹太郎さん、しばらくでございます。よくおいで下さいました。」
 と、その時、お祖母さんが仏間から出て来て徹太郎に挨拶をした。それから、突っ立っている二人を見て、
「お前たち、どうしたのだえ。お行儀がわるい。お辞儀を申しあげたのかえ。」
 二人はあわてて畳に手をついた。
「やあ。」
 と、徹太郎は二人に軽くお辞儀をかえし、
「どうだい、次郎君、正木には夕方までに帰ればいいんだろう。ついでに大巻にも寄って行くさ。少しまわり道になるが、今からすぐ出かけると、やいぶんゆっくり出来るぜ。」
「恭ちゃん、行こうや。」
 次郎は、もう乗気だった。
「うむ――」
 恭一は、まださっぱりしないふうだったが、強いて拒む理由も見つからないらしかった。
「俊三はどうだ。大巻のお祖父さんとこに行かないか。」
 まだ台所でお芳に世話をやいてもらっていた俊三に向かって、俊亮が言った。
 俊三は返事をしなかった。次郎がそっとその方をのぞいて見ると、彼はお芳の耳
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