鹿に高い、頭のつるつるに禿げた、真白な顎鬚《あごひげ》のある老人がはいって来た。次郎は、一目見ると、それが母の葬式の時に来ていた人だということを、すぐ思い出した。天狗の面を思わせるような顔が、次郎の記憶に、はっきり残っていたのである。
 老人は、そりかえるように背をのばして、大股《おおまた》に土間を歩いて行った。
 次郎が、ぼんやり突っ立ってそれを見送っていると、つづいて三十あまりの年頃の女が門口をはいって来て、小走りに彼のそばをすりぬけた。彼はちらとその横顔を見たが、少しも見覚えのある顔ではなかった。色が白くて、頬がやわらかに垂れさがっているような感じの女だった。
 彼は、しかし、その瞬間はっとした。そして吸いつけられるように、うしろ姿に視線をそそいだ。
「まあ、よくいらっしゃいました。さあどうぞ。父もたいへんお待ち申して居りました。」
 お延があいそよく二人を迎えた。
「きょうはお延さんにお造作《ぞうさ》をかけますな。はっはっはっ。」
 老人は肩をそびやかすようにして、そう言いながら、さっさと上にあがった。女の人は、上り框のところで、土間に立ったまま、何度もお延に頭をさげていたが、これも間もなく障子の向こうに消えた。
 次郎は、それまで、一心に女を見つめていた。そして障子がしまると、急に自分にかえって、あたりを見まわした。あたりには誰もいなかった。
 彼は、これからどうしようかと考えた。
 むろん、もう従兄弟たちを探す気にはなれなかった。二階に一人でいる気もしなかった。彼は、何度も門口を出たりはいったりしたあと、いつの間にか、母屋と土蔵との間の路地をぬけて庭の方にまわり、座敷の縁障子のそとに立った。しかし障子が二重になっていて、内からの話声はほとんどきこえなかった。ただ、みんなの笑声にまじって、さっきの老人の声が一きわ高くひびいてくるだけだった。
 彼は、障子の内に、父とさっきの女の人との坐っている位置をさまざまに想像しながら、寒い風にふかれて、しばらく植込をうろつきまわっていたが、ふと、従兄弟たちが自分のいないのに気づいて、探しに来てもいけない、と思った。で、何食わぬ顔をして、急いで蝋小屋の方に帰って行った。
 蝋小屋には、しかし、もう従兄弟たちはいなかった。仕事も早じまいだったらしく、炉の中には、灰になりかかった燠《おき》が、ひっそりとしずまりかえっていた。
前へ 次へ
全153ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング