次郎は、一人でいるのが結局気安いような気がして、蓆の上にごろりと寝ころんだ。そして、次第に白ちゃけて行く燠にじっと眼をこらした。
「ちっとでも次郎のためになることなら、仏も喜びましょうからな。」
 そう言ったお祖父さんの言葉が思い出された。それはいいことのようにも思えたし、また悪いことのようにも思えた。自分のために、悪いことを考えるようなお祖父さんではない。――そうは信じていたが、ふだんのお祖父さんの言葉のように、彼の心にぴったりしないものがあった。
「かげになって、次郎をかばってくれる女が一人は居りませんとな。」
 そうもお祖父さんは言った。が、次郎にはやはりそれもぴんと響かなかった。
(もし、さっき見た女の人がそうだとすると、あんな人に、乳母やのような親切な心があるわけがない。だいいち、あの女は自分がこれまで見たこともない人ではないか。)
 彼は、それからそれへと、いろんなことを考えつづけた。しかし、考えれば考えるほど、いよいよわけがわからなくなって来た。
 そのうちに、あたりがそろそろ暗くなり出し、おりおり炉の中でくずれる燠《おき》が、ぱっと明るく彼の顔をてらした。そして彼の眼に浮かんで来るのは、母や乳母やの顔ではなくて、いつも、さっき見た女の人の横顔だった。
 彼は、しかしそう永くは蝋小屋にも落ちつけなくて、間もなく茶の間の方に行った。
 茶の間には、もうあかあかと電燈がともって居り、客用のお膳がいくつも用意されていた。
 彼は、火鉢のそばに坐ってそれを見ているうちに、お膳の上のものをめちゃくちゃにひっくりかえしてみたいような衝動を感じた。
「ひとりでいるの? みんなどこに行ったんだろうね。」
 お延が忙しそうに立ち仂きながら、次郎に言った。
「どこに行ったんかね。」
 次郎は、気のない返事をして、相変らずお膳を見つめていた。
「喧嘩をしたんではない?」
「ううん。」
「誠吉もいないの。」
「僕、知らないよ。」
 お延は、心配そうに何度も次郎の顔をのぞいていたが、そのうちに、女中と二人で座敷にお膳を運びはじめた。次郎は、お膳が一つ一つ眼の前から消えて行くごとに、座敷の様子を想像して、ただいらいらしていた。
 ご馳走がおわって、客が帰ったのは九時すぎだった。
 ほかの子供たちはもう寝てしまっていたが、次郎だけは茶の間に頑張っていて、みんなに挨拶している女の
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