で、もう相当にふくらんでいたのである。
 次郎は食事をすますと、一人で二階に行って、お浜に手紙を書きはじめた。
 彼は先ず、町から正木に帰って来たことを知らせ、それから、さっきの座敷の話について何か書くつもりだった。しかし、彼はそれをどう書いていいのか、さっぱり見当がつかなかった。で、町で一度父に映画を見せてもらったことや、恭一に万年筆をもらったことや、父といっしょにお墓詣りをしたことなどを、多少の感傷をまじえて書いた。本田のお祖母さんのことは、何とも書かなかった。書きたくなかったのである。正木のお祖父さんや、お祖母さんについては、何かちょっとでも書いておきたいと思ったが、書こうとすると、ついさっきの話がひっかかって、筆が進まなかった。で、とうとうそれを思いきって、最後に、例のとおり、「では乳母や、からだに気をつけてください」と書き、すぐ封筒に入れて封をしてしまった。
 彼は、しかし、何だか物足りなくて、それからしばらくは、ぽかんと机に頬杖をついていた。
 そのうちに、継母を持っている数人の学校友達の顔が、ひとりでに思い出されて来た。そのある者は彼の非常にきらいな子供だったし、またある者は彼がかなり親しんでいる子供だった。彼は、しかし、それらの顔を思い浮かべたために、一層不愉快にもならなければ、慰められもしなかった。
 彼は、そのうちに、万年筆のことを思い出して、カバンの中からそれを取り出した。そしてキャップをとって、ためつすかしつ眺めはじめた。それは吸上ポンプ式だったが、まだインキが入れてなかった。彼は町で、恭一がそれに水を入れたり出したりしたのを見ていたので、どうすればインキがはいるのかがわかっていた。彼は部屋を見まわして、久男の机の上にインキ壺を見つけると、すぐそこに行ってインキを入れた。そして、自分の机のところに持って来ると、それでお浜に出す手紙の上がきを書いた。筆や鉛筆で書くのとちがって非常に書きづらかった。ペン先に紙がひっかかって、インキが点々と散った。それでも彼は、お浜あての手紙に、兄にもらった万年筆をはじめて使ったのが心からうれしかった。そして何度も封筒をひっくりかえしては、青みがかった文字の色をながめた。
 彼はそれでいくらか気が軽くなって、階下《した》におりた。そして従兄弟たちを探すために、蝋小屋の方に行きかけた。
 すると門口から、背《せ》の馬
前へ 次へ
全153ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング