こえた。次郎はごくりと固唾《かたず》をのんだ。
「この話は、次郎本位に考えるだけでいい、というわけでもありませんし……」
「ご尤も。」
 とお祖父さんが言った。俊亮は少し声を落して、
「何しろ、ご存じの通りの内輪の事情ですから、誰に来てもらったところで、すいぶんつらいことがあるだろうと思います。」
「それはいたし方ない。先方も初婚というわけではないし、それに、さっきから話しましたような事情じゃで、とくと話せば、大ていのことは我慢する気になるだろうと思いますがな。」
「しかし、それも程度がありますのでね。それに、万一来て下さる方が、次郎の方にだけ親しみが出来るというようになりますと、いよいよ面倒になりまして、次郎のためだと思ったことが、かえって悪い結果にならんとも限りませんし……」
「なるほど、そこいらはよほど気をつけんとなりますまい。じゃが、かげになって次郎をかばってくれる女が、一人は居りませんとな。」
 しばらく沈默がつづいた。次郎はただ頭がもやもやしていた。父にどう返事をしてもらいたいのか、それさえ自分でもわからなかった。第二の母、そんなことは、まだこれまでに彼が考えてみようとしたことさえなかったことなのである。
「とにかく、会ってやって下さるぶんには、差支えございませんでしょうね。」
 お祖母さんの声である。次郎は固唾をのんだ。
「ええ、それはかまいません。どうせ今日は、おそくなれば夜になる肚《はら》であがったんですから。」
 次郎は、失望に似た感じと、好奇心に似た感じとを、同時に味わった。
「次郎ちゃん、――何してんだい。――餅が焼けたよう――。」
 誠吉が土間の方から呼んでいる声がきこえた。彼は、はっとして、急いで部屋を出た。
 蝋小屋に行ってみると、もう餅がふくらんで、熱い息を吹き出していた。蓆《むしろ》のうえには、醤油と黒砂糖を容れた皿が二つ置かれていた。しかし、彼には、もうほとんど食慾がなかった。彼は、蒸炉にもえさかっている火の勢いで、自分の頭がぐるぐる回転しているような感じだった。
 間もなくお延が、彼らを午飯に呼びに来た。
 次郎は、しかし、ちゃぶ台のまえに坐っても、お延が盆をもって座敷に往ったり来たりするのに気をとられて、たった一杯しかたべなかった。従兄弟たちは、それをべつに変だとも思わなかったらしい。――彼らの腹も、蝋小屋で食った薩摩芋と餅と
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