は、それが世にもすばらしいことのように思えた。そのために、彼の恭一に対する敬愛の念は、これまでとはちがった意味で深まって行った。が、同時に、彼が、何かしら、恭一に対して妬《ねた》ましさを感じはじめたことも、たしかだった。
(今に、僕だって、……)
 彼は校友会誌に目をさらしながら、おりおり心の中でそうつぶやいた。彼が幼い頃恭一に対して抱いていた競争意識は、こうして、知らず織らずの間に、形をかえて再び芽を吹きはじめているらしかった。
 次郎と詩、――読者の中には、この取合わせを多少滑稽だと感じる人があるかも知れない。なるほど、次郎は、詩を解するには、これまで、あまりにも武勇伝的であり、作為的であったといえるだろう。
 だが聰明な読者ならば、彼のそうした行為の裏に、いつも一脈の哀愁《あいしゅう》が流れていたことを決して見逃がさなかったはずだ。実際、哀愁は、次郎にとって、過去十五年間、切っても切れない道づれであったとも言えるのである。彼の負けぎらい、彼の虚偽《きょぎ》、彼の反抗心と闘争心、およそそうした、一見哀愁とは極めて縁遠いように思われるもののすべてが、実は哀愁のやむにやまれぬ表現であり、自然が彼に教えた哀愁からの逃路だったのである。そして、もし「自然の叡智《えいち》」というものが疑えないものだとするならば、次郎の心がそろそろと詩にひかれていったということは、必ずしも不似合なことではなかったであろう。というのは、何人も自己の真実を表現してみたいという欲望をいくぶんかは持っているし、そして、哀愁の偽りのない表現には、詩こそ最もふさわしいものだからである。
 だが、彼の詩について、これ以上のことを語るのは、今はその時期ではない。何しろ、彼はまだ、歌一首作るにも、指を折って字数を数えてみなければならない程度の幼い詩人だったし、それに、恭一の詩に対してある妬ましさを感じていたとしても、彼の身辺には、詩以上に切実な問題がまだたくさん残されていたからである。
 第一、入学の当初から、五年生の間に「生意気な新入生」として有名になっていた彼は、彼らに鉄拳制裁の口実を与えまいとして、校内では無論のこと、ちょっと散歩に出るのにも、始終頭をつかい、気を張っていなければならなかった。「狐」や「三つボタン」のような上級生に対して、卑屈《ひくつ》にもならず、言いがかりもつけられないようにするには
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