がなくて、ひとりでに眼を恭一の方にそらした。
 恭一は、いやに注意深い眼をお芳に注いでいたが、次郎の視線《しせん》を自分の顔に感ずると、
「次郎ちゃん、二階に行こうや。」
 と、急に立ち上った。それからお芳のうしろにまわって、
「お祖母さん、これもらっていいでしょう。」
 と、茶棚の上の菓子鉢をとりあげた。お祖母さんは、ちょっといやな顔をして、
「二階に持って行くのかい。」
「ええ。いけないんですか。」
「食べたけりゃ、ここでいっしょに食べたらいいじゃないかね。」
「ここでは、おいしくないや。ねえ、次郎ちゃん。」
 恭一としては、いつもに似ない言い方だった。
 次郎はお祖母さんとお芳の顔を等分に見くらべていた。お芳は、しかし、相変らず無表情な顔をしていた。すると俊三が、
「僕、ここで食べる方がいいや。」
 と自分のからだでお芳のからだをゆさぶるようにして言った。
「俊ちゃんは、じゃあ、ここで食べろよ。」
 恭一は、そう言って、菓子鉢の中のものを、わしづかみにして、いくつか俊三にやった。それは亀の子煎餅だった。俊三は平気でそれを受取った。
「次郎ちゃん、行こう。」
 恭一は、そう言いすてて、さっさと階段を上って行った。
 次郎もすぐ立ちあがった。彼は立ちがけに、もう一度お芳の顔を見た。
 お芳はその時、少し眼を伏せていたが、めずらしく光を帯びた視線を次郎にかえした。それには、たしかにある表情があった。次郎には、しかし、それが何を意味するかは少しもわからなかった。
 彼は、同時に、お祖母さんの視線を強く自分の頬に感じたが、それには頓着《とんちゃく》しないで、すぐ恭一のあとを追った。
 二階に行くと、二人は菓子鉢を机の上においたまま、しばらくじっと顔を見あっていた。
「次郎ちゃん、がっかりしなかった?」
 恭一がやっとたずねた。
「どうして?」
 と、次郎はわざととぼけたような顔をして見せたが、その頬の肉は変に硬《こわ》ばっていた。
「だって――」
 と、恭一は言いよどんで、菓子鉢を見つめていたが、
「これ食べようや。」
 と、急に亀の子煎餅をつまんだ。しかし、二人とも、それを口に運ぶというよりは、それに浮き出している模様をぼんやり眺めている、といったふうだった。
「母さん、変じゃあない?」
「どうして?」
「だって、次郎ちゃんが来ても、ちっとも嬉しそうな顔をしていないじ
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