ったのか、いつも俊亮の坐るところにお祖母さんが坐り、その左に恭一、お祖母さんと向きあってお芳、その右に俊三、そして次郎は、恭一と俊三との間に一人だけ横向に坐ることになった。そして坐ると同時に、四人はすぐ火鉢に手をかざしたが、次郎だけは、手を出さなかった。四月に入ったばかりで、陽気はまだ寒かったが、四里近くの道を歩いて来たばかりの次郎には、火の気の必要がほとんど感じられなかったのである。
 しかし、この瞬間、次郎は何ということなしに、変に冷たいものが、ふと自分の胸をとおりぬけるような気がした。それはあるかなきかの、ごく淡い感じではあった。しかし、次郎にとっては何よりもいやな種類の感じだったのである。
 彼は、強《し》いてその感じを払いのけようとつとめた。しかし、それは無駄だった。というのは、それから恭一と俊三とが、何か二こと三こと彼に話しかけたあと、話がいっこうにはすまず、妙に白けた空気が火鉢のまわりを支配してしまったからである。
 この時、もしお芳が、次郎に何か話しかけるか、或はちょっと気をきかして、すぐそばの茶棚から、次郎の眼にも見えていた菓子鉢でもおろして、みんなの前にさし出したとしたら、かりにそれがお祖母さんの機嫌を損じて、次郎にかえって不愉快な思いをさせる結果になったとしても、次郎は一ヵ月前の「母さん」をはっきり本田家に見出すことによって、十分そのうめ合わせをすることが出来たであろう。
 だが、お芳には、そんな気ぶりは少しも見えなかった。気がつかなかったのか、勇気がなかったのか、あるいはそれがあたりまえだと思っていたのか、彼女は、まるで気のぬけたおかめ[#「おかめ」に傍点]のような顔をして坐っているだけだった。
 それに、次郎の心を一層刺戟したのは、俊三がおりおりお芳にしなだれかかるようなふうをすることであった。彼は、俊三のそうした様子を見ているうちに、ふと、彼の六、七歳ごろの記憶をよび起した。それは、乳母のお浜と自分との間に恭一が割りこんで、お浜の愛を奪っていると想像した結果、恭一のカバンをそっと便所になげこんだおりのことであった。彼は、そのころ恭一に対して感じたものを、俊三に対して感じはじめたのである。
 それは、その時ほど狂暴《きょうぼう》なものではなかった。しかし、それだけに、胸のしんに何か食い入るような気持だった。彼はもうお芳と俊三とを見ている勇気
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