が「自然」に打克《うちか》つように見えるのは、その「願望」が「自然」に即し「自然」の流れに棹《さお》ざしている時だけなのである。お芳から次郎を遠ざけ、その代りに、恭一と俊三をいつもお芳の身辺《しんぺん》に近づけておくことが、「次郎のため」の願望を自然の流れに棹ざさせる道であったとは、決していえなかったのであろう。
「自然」の最も深いところに根を張っているはずの肉親の愛ですら、何かの不自然を敢えてすることによって、或はゆらめき、或は枯れる。意義と理性とによって、その不自然を出来るだけ自然に近づけて行くことを知らない女性において、とりわけその危険が多いのだ。それは、お民と本田のお祖母さんとにおいて、すでに十分証明されたことではなかったか。まして、お芳は、もともと不自然な、しかも、ゆさぶってみるにはまだあまりに早すぎる接穂《つぎほ》でしかなかったのである。次郎に、かつての里子の経験が、再び新しい形ではじまろうとしていたとしても、それは「あるまじきことだ」とばかりは、必ずしも言えなかったのではあるまいか。
 事実を語ろう。
 次郎は、入学試験後、正木に来てから約一ヵ月ぶりで、土曜から日曜にかけて、はじめて本田の家に帰って行った。その日、彼は、お芳にもらった靴をわざわざ履《は》いて行くことにしたが、靴はまだ十分に新しかった。小学校では、ふだん靴を用いることになっていなかったので、彼はその日はじめてそれを履いたようなものだったのである。
 恭一や、俊三や、お祖母さんの顔にまじって彼を迎えたお芳の顔には、相変らず大きなえくぼがあった。べつだん、飛びつくように彼を迎えるふうはなかったが、正木にいっしょにいたころのお芳を知っていた次郎には、そのえくぼだけで十分だった。で、彼は、本田の家に帰って来てこれまでに感じたことのない、ある新しいあたたかさを感じながら、靴の紐をときはじめたのだった。
 するとお祖母さんが言った。
「おや、今日は靴を履いて来たのかい。母さんにこないだいただいたのを、もうおろしたんだね。田舎の小学校では靴はいるまいに。」
 次郎は、思わずお芳の顔を見た。お芳は、しかし、何の変った表情も見せてはいなかった。次郎は、安心したような、物足りないような変な気になりながら、上にあがった。
 それから、みんなは茶の間の長火鉢のまわりに坐ったが、偶然だったのか、そうなるのが自然だ
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