いつも発揮して来たところで、いわば彼の本能であった。しかし、この場合、その中身は、以前のそれとはずいぶんちがっていた。この場合の彼には、すこしもずるさがなかった。自分を安全にするために策略を用いようとする気持などは、微塵も動いていなかった。彼はただ無意識のうちに真実を見、真実を聞き、真実を味わっていたのである。
なるほど、彼の心のどこかには、お祖母さんに対する皮肉と憐憫《れんびん》との妙に不調和な感情が動いていた。また、自分のこれまで持っていなかった、ある尊いものを、恭一の言葉や態度に見出して、単なる親愛以上の高貴な感情を、彼に対して抱きはじめていた。しかし、そうしたことのために、真実が、次郎のまえに、少しでもその姿をゆがめたり、曇らしたりはしていなかったのである。いな、かえって、真実をはっきり見、聞き、味わった結果として、そうした感情が彼の心に動きはじめていたといった方が本当であろう。
「運命」と「愛」と「永遠」とは、こうして、いろいろの機会をとらえては、次郎の心の中で、少しずつおたがいに手をさしのべているかのようだった。だが、次郎はまだ何といっても少年である。「永遠」は見失われやすいし、「愛」は傷つきやすい。ただ「運命」だけは、どんな場合にも彼をとらえてはなさないであろう。
お祖母さんは、それから、いつまでたっても恭一のそばをはなれなかった。二人とも、もう泣いているようでもなかったが、やはりつっ伏したままだった。口もききあわなかった。次郎は次第に凝視につかれて来た。少し寒くなって来た。枕時計を見ると、もうやがて十一時だ。あすの試験が気になって来る。彼は、お祖母さんが自分を叱るなら叱るで、さっさと叱ってくれるといい、と思ったが、恭一の背中に押しあてたその頭は、石のように頑固《がんこ》だった。彼はそろそろ腹が立って来た。
(お祖母さんは、あんなことをして、僕の試験の邪魔をしているんだ。)
彼はふとそう思った。亡くなった母に対して、自分でもしばしばそうした押しつよい態度に出た経験のある彼としては、そう思うのも自然であった。また、そのぐらいのことは、実際お祖母さんのやりかねないことでもあったのである。その点では、お祖母さんと次郎とは、さすがに争えない血のつながりであった。しかし、悪魔の心を最もよく見ぬく者は悪魔であり、そして、それゆえに悪魔と悪魔とは永遠に親しむこ
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