た。
それからどのくらいの時間がたったか、ふと、彼は茶の間から聞えて来る大きな声で目をさました。
「じゃ、何ですかい、小さい者が大きい者に向かってなら、どんな乱暴をしたって構わんとおっしゃるんですかい。」
「そうじゃないのさ。さっきからあれほど言っているのに、まだ解らんかね。」
「解りませんね。旦那のような学者のおっしゃるこたあ。」
「じゃ訊ねるが、もし次郎が噛みつかなかったとしたら、一体どうなっているんだい。」
「どうもなりゃしませんさ。」
「どうもならんことがあるものか。あいつは年じゅう喜太郎にいじめられ通しということになるだろう。傷がつかない程度にね。……一体、膝坊主を少しばかり噛み切られるのと、一生卑怯者にされるのと、どちらがみじめだか、よく考えてみてくれ。お前も親分と言われるほどの男だ、これぐらいの道理がわからんこともあるまい。」
庄八は何か答えたらしかったが、急に声が低くなって、次郎にはよく聞き取れなかった。
「そりゃ、梅干ほどの肉がちぎれているとすると、親としては腹も立つだろう。俺も、次郎が犬みたいな真似をしたことを、決していいとは思わん。」
また犬だ。次郎は口のあたりを手のひらでそっとなでてみた。
「そこで、実を言うと、俺も最初は、何とか挨拶に色をつけなきゃなるまいと思っていたところだ。が、だんだん話を聞いているうちに、お前の方で、こちらからそうした挨拶をしないと承知しない、とか言っていることがわかったんだ。……いや、それもいい。そういう要求も別に悪いとは言わん。しかし、万一にもそのことが、お前んとこの喜太郎にわかり、それから次郎にもわかったとしたら、いったいどうなるんだ。……ねえ庄八、お互に子供だけは、金でごまかせない男らしい人間に育て上げようじゃないか。」
「いや、よくわかりました。」
「そこでだ、お前に、もし金が要るんだったら、今度のことに絡《から》まないで、話してくれ。金は金、今度のことは今度のこと、そこをはっきりして、これからもつき合っていこうじゃないか。」
「面目《めんぼく》ございません。ついけちな考えを起しまして。」
「わかってくれてありがたい。……おい、お民、酒を一本つけておくれ。」
次郎の緊張が急にゆるんだ。そして、明日からの毎日が、これまでよりも、ぐっと力強くなるような気がして、存分に手をのばした。同時に彼は、昨日までの父とはちがった感じのする父を、心に描きはじめた。彼は、親分という言葉の意味をはっきりとは知らなかったが、それが何となく、庄八によりも父にふさわしい言葉のように思えて来たのである。
一四 ちび
次郎は、学校に通い出してから、木登りが達者になり、石投げが上手になった。水泳にかけてはまるで河童同様であった。蜻蛉釣りや、鮒釣りや、鰌《どじょう》すくいに行くと、いつも仲間より獲物が多かった。そして真冬のほかは、大てい跣足のまま、何処へでも飛びあるいた。彼は学校に通ったために、文明人になるよりも、かえって自然人になるかのように思われた。
復習などは、ほとんど彼の念頭になかった。彼の教科書は、手垢で真っ黒になっており、頁がところどころちぎれたりしていたが、それは彼の勉強の結果ではなくて、学校の往き帰りに、意味もなく放り投げたり、なぐり合いに使ったりするからであった。
もし、母がおりおり恭一のぴんとした教科書と、彼のくちゃくちゃの教科書とを、彼の目の前にならべて、彼に厳《きび》しい訓戒を加えることがなかったら、彼はもっといろいろのことに、彼の教科書を利用したかも知れなかった。
それでも、彼の成績は決して悪い方ではなかった。五十幾人かの組で、彼はいつも五番以下には下らなかった。もし研一という、図抜けて優秀な子供さえいなかったら、彼が一番になるのも大してむずかしいことではなかったであろう。
もっとも、操行は大てい乙で、一度などは丙をつけられたこともあった。その時には、さすがの彼も、気がひけたとみえて、通信薄のその部分を指先で擦《す》り剥《は》がして、家に持って帰ったのだった。
それを見て、腹を立てたのは、母よりも、むしろ父であった。父はいきなり持っていた煙管《きせる》で次郎の頭をひどくなぐりつけた。
お浜は通信簿が渡される日には、きまって卵焼をこさえて、次郎を校番室に迎えた。しかし、そのおりの、彼女の顔付は、いつも、あまり愉快そうではなかった。
「恭ちゃんはいつも一番なのに、次郎ちゃんはどうしたんです。」
これが、次郎が卵焼を食べ終ったあと、きまってお浜の口をもれる小言であった。
この小言は、ふだんにもしばしば校番室で繰り返された。次郎は、最初のうちはすまないような気もしていたが、たび重なるにつれて、次第にうるさくなって来た。そして彼が校番室に出入することも、そのためにだんだん少くなっていった。
もっとも、彼が校番室に遠ざかるようになったのは、決してそれだけの理由からではなかった。今では、彼は全く色合の異った三つの世界をもっている。その第一は、母や祖母の気持で生み出される世界、その第二は、お浜や父や正木一家に取り巻かれている世界、そして、その第三は、彼が、入学以来、彼自身の力で開拓して来た仲間の世界である。この第三の世界は、新鮮で、自由で、いつも彼を夢中にさせた。彼が第二の世界を十分に愛しつつも、第三の世界のために、より多くの時間を割《さ》くようになったのに、不思議はなかった。
とも角も、彼はこうして二年に進み、三年に進んだ。
彼の生活は日一日と多忙になった。そして多忙になればなるほど、彼の幸福な時間はそれだけ拡がっていった。時としては、拡がりすぎてかえって彼を不幸にすることすらあった。というのは、何処の家庭でも、子供が学校道具を持ったまま、暗くなるまで遊び暮して家に帰って来た場合、夕飯を食べさせないくらいのことはするのだから。
ところで、彼が三年に進級すると同時に、彼がせっかく二年越しで開拓して来た自由の天地に、大きなひびの入る事情が生じた。それは弟の俊三が一年に入学したことである。
お民は、俊三の入学式をすまして帰って来ると、すぐ恭一と次郎を呼んで、昔、毛利元就《もうりもとなり》が子供たちに矢を折らしたという逸話を、如何にも勿体《もったい》らしく話して聞かした。そして、
「明日からは、三人そろって学校に行くんですよ、俊三ははじめてだから、二人でよく気をつけてね。」と念を押した。
次郎にとっては、しかし、それはどうでもいい話であった。彼は、俊三の世話を焼くのは恭一の役目だ、と思ったのである。
(それにしても、僕が学校にあがった頃は、どんなだったかしら。どうも僕には、恭ちゃんに世話を焼いてもらった覚えなんかないのだが。)
彼は、ぽかんとして窓の外を眺めながら、そんなことを考えていた。するとお民が言った。
「次郎、お前はよそ見ばかりしているが、お母さんの言うことがわかったのかい。お前こそすぐの兄さんだから、今度は恭一よりお前の方が気をつけてやるんですよ。」
次郎は変な気がした。何が「今度は」だと思った。「すぐの兄さん」だから一体どうだというんだ、とも思った。彼は、この頃、母の言うことがとかく理窟にあわないような気がして、以前のように聞き流しにばかりはしておれなくなっていたのである。
「それに恭一は、もう五年だし、随分おそくまで学校でお勉強があるんです。だから、帰りに俊三をつれて来るのは、次郎の役目なんだよ。」
お民の言うことはいよいよ変だった。次郎は、これはうっかりしては居れない、と思った。
「僕だって俊ちゃんよりおそいや、俊ちゃんは午までですむんだから。」
咄嗟《とっさ》にいい口実が次郎の口をついて出た。そして、案外母もぼんやりだな、と内心で彼は思った。
「そりゃ解ってるさ。だから、なるだけ直吉を迎えにやることにしているんだよ。」
次郎は「なるだけ」が少々気に食わなかったが、それならまず我慢が出来る、と思った。しかし、そのあとがいけなかった。
「だけど、直吉も忙しいんだからね。もしか迎えに行けなかったら、お前がつれて帰るんですよ。俊三はお前のお勉強がすむまで、校番室に待たして置くように、お浜にも話してあるんだから。」
次郎は、それですっかりぺしゃんこになった。
むろん彼は、母の矛盾に気がつかないことはなかった。
(僕が校番室に出入すると、あんなにやかましく言うくせに。)
彼はそう考えたが、それを口に出して言おうとはしなかった。言えば藪蛇《やぶへび》だと思った。
で、とうとう次郎は、翌日から、俊三の学校通いのお伴をすることになってしまった。手があいておれば迎えに来るはずの直吉は、ただの一度も来なかった。
次郎の自由な天地は、それ以来ほとんど台なしになってしまった。彼は時間どおりに家を出て、時間どおりに家に帰ることを余儀なくされた。そして、家に帰ると、すぐ復習をさせられたり、用を言いつかったりした。お民としては思う壺で、いつも機嫌がよかった。しかし母の機嫌がよければよいほど、次郎の心は憂欝になっていった。
それに、このことは、次郎に、もう一つ、ちがった意味で大きな苦痛を与えた。というのは、彼は元来ちび[#「ちび」に傍点]だったのである。体質なのか、食物のためなのか、或いは根性が強過ぎるためなのか、里子時代から、どうも彼の身長は思わしくのびなかった。学校に通い出してからは、肉付や血色はめきめきとよくなっていったが、身長だけは、同年輩のどの子供よりも低くて、体操ではいつもびりにならばされた。
恭一を真《ま》ん中《なか》にして兄弟三人が並《なら》ぶと、まるで聖徳太子の画像を見るようだと、みんなが笑ったものだが、実際今では、次郎の身長は俊三と三分とちがっていないのである。
むろん二人の着物は、同じ長さに裁《た》たれた。しかも大ていは同じ柄の飛白《かすり》であった。だから、二人は着物を取りちがえては、よく喧嘩をした。もっとも、喧嘩をしても、母や祖母は少しも困らなかった。というのは、汚れや綻《ほころ》びの多い方を次郎のだときめてしまえば、それで簡単に片がついたからである。
むろん、この決定には、しばしば誤りがあった。しかし、誤りがあっても、そう決めて置く方が簡単であり、次郎の戒《いまし》めにもなると、二人は考えていたのである。
着物の方は何とか諦めがつくとしても、毎日学校の往き帰りに、俊三と並んで歩かねばならないことは、次郎にとって、何としても我慢の出来ないことであった。実を言うと、彼はかなり以前から、自分のちびなことに気がついて、内心それを苦にしていた。それも、俊三と一緒でない場合にはさほどでもなかったが、この頃のように、いつも二人で並んで歩かなければならなくなると、まるで曝《さら》し物同然で、何だか身がすくむような気がするのである。しかも、村の小母さんたちは、彼のそんな気持などにはまるで無頓着に、
「まあ、お仲のいいこと。……そうして一緒に歩いておいでだと、どちらが兄さんだか、見分けがつかないようですわ。」
などと言う。次郎にしてみると、これほどの侮辱はない。こんなことで兄弟が睦《むつま》じくなんかなれるものか、思う。
彼は出来るだけ頭を真っ直にし、足を爪立てるようにして歩くことにつとめた。そして、硝子戸のある家の前を通る時には、いつも自分の影を覗いてみた。しかし、そんなことで、彼の自信が保てるわけのものではむろんなかった。
で、結局彼は、出来るだけ俊三と離れて歩くことに決めた。これがまた一通りの苦心ではなかった。俊三は、そとでは妙に卑怯な性質で、いつも次郎にくっついて歩きたがった。それを次郎が嫌って無理に二、三間離れると、彼はすぐ地団駄《じだんだ》をふんで泣き出した。
最初の一週間ほどは、それでも、次郎は母の言いつけをどうなり実行した。しかし、硝子戸にうつる自分の姿は、いつも皮肉に彼自身を嘲《あざけ》った。しかも、その間に、彼の「第三の世界」は、拒《こば》みがたい魅力をもって、たえす彼を手招きしていた
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