顔を見まわしていた。しかし彼は、予期に反して、誰からも彼の満足するような言葉を聞くことが出来なかった。
 お祖父さんは、始めから終りまで、無表情な顔をして「ほう、ほう」と言っているだけだった。お祖母さんは、たえず何かほかの話をしかけては、みんなの注意をかきみだした。お民は最後まで熱心に耳を傾けてはいたが、話が進むにつれて、むしろ不機嫌な顔つきになった。直吉は、次郎が水を呑んだ話のところで吹き出したきりだった。ただお糸婆さんだけが、
「まあ、次郎ちゃん、お偉いですね。」
 と言った。しかし、それも次郎の耳には、ほんの口先だけ俊亮にあいづちをうったものとしか聞えなかった。
 夕飯がすむと、間もなく俊亮は町にかえる支度をはじめた。
 次郎は妙に心が落ちつかなかった。で、すぐ表に飛び出して、父が出て来るのを三四町さきの曲り角にしゃがんで待っていた。日がちょうど落ちたばかりで、道はまだ十分に明るかった。
 父の自転車が、ごとごとと砂利道をころがって来るのを見ると、彼は立ち上って、
「父ちゃん!」と呼んだ。
「何だ、お前こんなところにいたのか。」
 俊亮は自転車をおりて、次郎の顔を無造作に撫でなが
前へ 次へ
全332ページ中66ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング