という段になって彼は当惑《とうわく》した。あまり手を使いすぎると、眼をさましていることが発覚しそうである。彼は先ず頭の方から這入る計画を立てた。しかし、何度転んでみても、いつも頭が蚊帳の裾に乗っかって、うまくいかない。で、今度は足の方から這入ることにした。これも容易には成功しなかったが、それでも頭ほどに不便ではなかった。それは、下駄を穿《は》く時の要領《ようりょう》で、うまく足指を使うことが出来たからである。
こうして、ともかくも、彼は腰の辺まで蚊帳の中に這入ることが出来た。蚊の襲撃《しゅうげき》から完全に遁《のが》れるためには、あとわずかな努力が残されているのみであった。彼はその努力の機会をねらって、一息入れながら、かすかに眼を開いて母の様子をうかがった。
すると、どうだろう、蚊帳の内側では、母がきちんと坐って、眼を皿のようにして自分の方を見つめているではないか。
次郎はもうこれ以上身動きしてはならないと思った。
実は母に覗かれているという意識があったればこそ、こんな手も使ったのであるが、こうまともに見られているのだとは、夢にも思わなかったのである。
しかし、その間にも、蚊
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