している。
 次郎は立ち上って、自分から俊三のそばに行った。
「算盛こわしたのは俊ちゃんじゃない?」
「…………」
 俊三はうつ向いたまま、下駄で土間の土をこすった。
「僕、誰にも言わないから、言ってよ。」
「あのね……」
「うむ。」
「僕、こわしたの。」
 次郎はしめたと思った。しかし彼は興奮しなかった。
「どうしてこわしたの?」
 彼はいやに落ちついてたずねた。そしてさっき自分が母に訊ねられた通りのことを言っているのに気がついて、変な気がした。
「転がしてたら、石の上に落っこちたの。」
「縁側から?」
「そう。」
「お祖父さんの算盤って、大きいかい?」
「ううん、このぐらい。」
 俊三は両手を七八寸の距離に拡げてみせた。次郎は、いつの間にか、俊三が憎めなくなっていた。
「俊ちゃん、もうあっちに行っといで。僕、誰にも言わないから。」
 俊三は、ほっとしたような、心配なような顔つきをして、母屋の方に去った。
 そのあと、次郎の心には、そろそろとある不思議な力が甦《よみがえ》って来た。むろん、彼に、十字架を負う心構えが出来上ったというのではない。彼はまだそれほどに俊三を愛していないし、ま
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