床の下まで、総がかりで検《しら》べた。隣近所にも無論たずねてみた。しかし次郎の行方は皆目《かいもく》わからなかった。
 みんなは捜《さが》しあぐんで、だんだんと土間に突っ立ったり、竈《かまど》の前に蹲《しゃが》んだりしはじめた。大して心配なことはあるまい、という気持が、大抵の人の顔に現れていた。
 その間を、お浜だけが、何度も裏口を出たり這入ったりして、落ちつかなかった。背戸《せど》には大きな溜池があって、蓮の枯葉が、師走の風にふるえていた。お浜は、ちょっと不吉なことを想像した。しかし、それを、口に出してまで言おうとはしなかった。
「次郎ちゃんのことだから、出しぬいて、一人で先に帰ったのかも知れない。」と、直吉が、竈の前で煙草をくわえながら言った。
「そう言えばお前さん達がそこで話しているうちに、一人で表の方へお出でなすったようだよ。」
 と、姉さん被《かぶ》りの婢《おんな》が、すべての謎はそれで解けてしまうかのような顔をして言った。
 今まで茶の間に坐ったまま、默ってみんなの言うことを聞いていた正木のお祖父さんは、
「ともかくも、直吉は一応帰って見るがいい。こちらはこちらで、心あたりを捜《さが》して置くからな。だが、見つかっても、見つからんでも、日暮までにはおたがいに知らせあうことにして置かんと困る。――お浜は、よかったらもう一晩泊ったらどうかの。」
 お浜はちょっと思案していたが、
「私もすぐ帰らしていただきましょう。すこし思い当ることもありますから。」
「まさかお前のところに逃げて行ったんではあるまい。」
「私もまさかとは思いますが……」
 そう言いながら、お浜は直吉と一緒に、そそくさと暇を告げた。
 その後、捜索《そうさく》は三方で行われたが、どちらからもいい報告はなかった。日が暮れると間もなく、お浜が再び正木の家にやって来た。本田からは、九時頃になって、俊亮と、お民と、お祖母さんとが、揃ってやって来た。お民は這入って来るとすぐ、白い眼をして、じろりとお浜を見た。お祖母さんは、
「あんな小さい子を一人で使いに出したりするものですから、とうとうこんな事になりまして。……第一こちら様に相済まないことだし、それに世間様にも恥ずかしい。」と言った。
 俊亮は、いつもに似ぬ沈痛な顔をして、默って正木の老人の前にかしこまった。
 そのあと、彼らが何を話合い、どんな手段を講じたか。それは彼らに任しておいて、私は、読者と共に、早速次郎のあとをつけてみることにしたい。

     *

 実を言うと、次郎はみんなが心配するほど危険な場所に行っていたわけではなかったのである。
 彼は、門口《かどぐち》を出ると母屋と土蔵との間の、かびくさい路地に這入って、暫くそこに佇《たたず》んだ。それから路を更に奥にぬけて、庭の築山のかげに出た。彼はそこで、永いこと寒い風にさらされながら、座敷の様子を窺っていたが、全く人の気配がないと見て、思い切って縁側から上って行った。そして、次の間の、客用の夜具を入れてある押入をあけて、すばやくその中にもぐりこんでしまった。
 絹夜具の膚触《はだざわ》りが、いやに冷たくて気味が悪かった。おまけに、皹《ひび》の切れた手足がそれに擦れるたびにばりばりと異様な音を立てるので、彼はびくびくした。
 夜具にくるまりながら、内からそっと襖《ふすま》を締めるのは、次郎にとって、かなり骨の折れることだった。が、どうなりそれをやり了《おお》せると、彼はなるだけ体を動かさない工夫をして、遠くの物音に聴耳《ききみみ》を立てた。おりおり男衆の騒いでいるらしい声がきこえて来た。しかし何を言っているのかは、まるでわからなかった。
 眼が、闇に慣れるにつれて、襖の隙間《すきま》から洩れる光線が、仕切棚の裏にぼんやり扇形の模様を投げているのが見えだした。彼は一心にそれを見詰めて、その中に日の丸や、青い波や、瓢箪《ひょうたん》や、竜や、そのほか彼がこれまでに扇面で見たことのあるいろいろの画を想像してみた。
 そのうちに、お浜や直吉の顔も浮かんで来た。同時に、彼がかつて直吉の肩車に乗って、その耳朶に爪を突き立てた折のことが、はっきり思い出された。
(直吉はいつも自分を迎えに来るからきらいだ。それさえなけれは嫌いではないんだが。……今日はもう帰ったか知らん。――でも、乳母やまでが一緒に帰ってしまったんではつまらない。)
 そんなことを考えているうちに、夜具がいつの間にかぽかぽかと温まって来た。次郎は、その中で体がふんわりと宙に浮き上るような気持になった。そして、間もなく彼はぐっすりと眠ってしまったのである。
 幾時間かの後、彼が眼をさました時には、扇形の光線など、もうどこにも見えなかった。彼は真っ暗な中で、自分が何処に寝ているかさえ、全く見当がつかなかっ
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