の紙包を、二人の前にひらきながら、
「ほんとに次郎ちゃん、今日はどうしたの。学校の帰りにより道なんかして。」
「…………」
「何かまたいたずらをしたんじゃない?」
「ううん。」
「お母さんが心配なさるわよ。」
「…………」
「おかしいわね。默ってばかりいて。」
「…………」
「ほんとに、どうしたのよっ。」
春子は、めすらしく真剣に怒っているような声を出した。すると次郎は、それとはまるで無関係のように、真面目な顔をして、だしぬけにたずねた。
「姉ちゃんは、東京に行くの?」
「あらっ。」
春子の顔は、瞬間に真赧《まっか》になった。そしてすぐ竜一の方を見ながら、
「竜ちゃん、もう喋ったのね。いいわ、もうこれからなんにも上げないから。」
春子は菓子の包みをひったくるようにして、さっさと下に降りて行ってしまった。
竜一と次郎とは、ぽかんとして顔を見合わせた。しかし次の瞬間には、次郎はもうそわそわし出した。彼は、幾日かの後に失わるべき春子が、すでに彼から全く姿を消してしまったように思った。そして何よりも彼をうろたえさせたのは、春子を怒らしてしまったことであった。
竜一は、しかし、憤慨した。
「馬鹿にしてらあ。東京に行くの大喜びのくせに。……お菓子くれなきゃ、くれないでいいや。僕とって来るから。」
そう言って竜一はすぐ下に行った。
次郎はいよいようろたえた。彼は竜一が菓子をもって再びやって来るのを待っている気がしなかった。で、自分もすぐ下におりて、足音を忍ばせながら、大急ぎで外に出てしまった。
正木の家に帰ると急に空腹を感じて、しきりに飯をかきこんだ。そして誰もたずねもしないのに掃除当番でおそくなったのだ、と何遍も言訳をした。むろんそれにしては時間がおくれ過ぎていたが、別に誰も怪しむものはなかった。
翌日は薬を貰いに行く日だった。次郎は何となく行きづらいような、それでいて早く行ってみたいような気がした。薬局の外には、六七人の人が待っていたが、彼が敷居をまたぐ音がすると、すぐ窓から春子の眼がのぞいた。そして、
「次郎ちゃん? ここでも二階ででもいいから、しばらく待っててね。今日は、ほら、こんなに沢山待っていらっしゃるから。」
次郎はほっとした。そしてすぐ薬局の中に這入って、例のとおり春子の調剤の手つきを見まもった。
「次郎ちゃんは、昨日默って帰っちゃったのね。あたしが怒ったからでしょう。堪忍してね。」
春子は微笑しながら言った。しかし東京行きのことは、みんなの調剤が終るまで一言も言わなかった。そして次郎が薬壜を受取って、部屋を出ようとすると、
「あたしがお薬をこさえてあげるの、これでおしまいよ。」
と言った。その声は少しさびしかった。次郎はふりかえって、じっと春子の顔を見た。春子も彼を見つめた。
「いつ東京にたつの?」
「五六日してからだわ。でも、今夜あたしの代りをする人が来るんだから、明日からはその人にやっていただくの。」
次郎は默って歩き出した。すると春子は、
「ちょっと待っててね。」
そう言って奥に走って行った。そして紙に包んだものをもって帰って来ると、
「今日は竜ちゃんがいないから、これ、帰ってから食べてちょうだいね。」
次郎は泣きたくなった。彼はほとんど無意識に紙包を受取ると、默って外に出た。
午後の日は暑かった。彼は大川の土堤に来ると、斜面の櫨の木の陰にねころんだ。そして紙包から菓子を出して、むしゃむしゃたべながら、青空の中に春子の顔を描いていた。
三六 火傷
村の夏祭が近づいて、大川端で行われる花火の噂が村人の口に上るころになると、子供たちも薬屋から硝石と硫黄とを買って来て、それに木炭の粉末をまぜて火薬を造り、毎晩小さな台花火《だいはなび》などをあげて、楽しむのだった。彼らは「しだれ桜」だとか、「小米の花」だとか「飛雀《とびすずめ》」だとか、そういった台花火のいろいろの名称を知っていたが、むろん彼らにそんな巧妙なものが出来ようはずはなかった。彼らはただ小さな竹筒に手製の火薬をつめ、それをいくつも竿に結びつけて水際に立て、下から順々に火を点じてさえいけば、それで満足したのである。もし、一筋の糸が張ってあり、それを伝って一つの花火が突進し、それを導火にして、一番下の竹筒が火を吹きはじめ、あとは次第に上に燃え移るように口火がつながっており、それに最上端の花火が廻転する仕掛にでもなっていれば、それは彼らの工夫としては、最上のものであった。中には、火薬の中に鉄粉をまぜて、青い花火を出して見せようと試みる者もあったが、それに成功するものは極めてまれであった。
「次郎ちゃん、買って来たよ。」
ある日、次郎が例のとおり病室の次の間で、憂欝な顔をして机の前に坐っていると、誠吉が縁側から這いあがって来
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