ともすると、むっつりして、ひとりで何か考えこんだ。それが子供達を一そう気味悪がらせた。
「打ちどころが悪ければ、死ぬところだったね。」
 彼は、事件のあとで、いろんな人にそう言われたのを、おりおり思い出す。しかし彼は、そう聞いても死ぬのが怖いという気にはちっともなれない。生籬の根もとに、血まみれになってぐったりと倒れている自分の姿を想像してみても、さして痛切な感じが起るのでもない。死ぬなんて何でもないことだ、というような気がする。
 だが、彼は、自分の死骸を想像すると同時に、きっと、その死骸を取り巻いている多くの人々を想像する。すると、彼の心は決して平静であることが出来ない。それは、そのなかに、父や、母や、祖母や、春子などの顔が、さまざまのちがった表情をして現れて来るからである。祖母の顔を想像すると、彼は、何くそ、死ぬものか、という気になる。父や春子の顔を想像すると、哀れっぽい甘い感じになって、死ぬことを幸福だとさえ思う。
(ところで、母さんはどんな顔をするだろう。)
 彼はいつも、一生懸命で母の表情を想像してみるのだが、どういうものか、ほかの人たちの顔ほど、はっきり浮かんで来ない。そして、時とすると、母の顔が、ひょいとお浜の顔に変ったりする。無論それは非常にぼやけている。しかしお浜の顔が浮かんで来ると、しみじみと死んではならないという気になる。そして、想像の世界から急に現実の自分にかえって、お浜の思い出にふけるのである。
 だが、お浜の記憶は、もう何といってもうっすらとしている。そして寂しい。そんな時に、彼の心を明るいところにつれもどしてくれるのは、いつも竜一である。竜一は、別に次郎の気持を知っているわけではなく、むろん自分で彼をどうしようというのでもないが、学校の休み時間などに次郎が一人でいるのを見つけると、すぐそばに寄って来る。すると次郎はすぐ、春子に繃帯を取りかえて貰う時の喜びをひとりでに思い出して、明るい気分になるのである。
 その繃帯も、しかし、十日ほどで必要がなくなった。春子は、その日|絆創膏《ばんそうこう》を貼りながら、いかにも嬉しそうに言った。
「やっと、さばさばしたわね。暑苦しかったでしょう。……もうこれからあんな馬鹿な真似はしないことよ。」
 しかし、次郎は、たった一つの楽しみをもぎ取られたような気がして、変に淋しかった。
「姉ちゃん。」
 と、はたで付替《つけかえ》を見ていた竜一が言った。
「学校では、みんなが次郎ちゃんを怖がるんだよ。僕、次郎ちゃんと仲がいいもんだから、僕まで威張れらあ。」
「まあ、いやな竜ちゃん。」
 春子は吹き出しそうな顔をして、そう言ったが、急に真面目になって、
「次郎ちゃんは、お友達に怖がられるのがお好き?」
 次郎は、春子に真正面からそう問われて、うろたえた。そして、つまらないことを言い出した竜一を、心のうちで怨《うら》んだ。
「竜ちゃん、嘘言ってらあ、誰も怖がってなんか、いやしないじゃないか。」
 彼はむきになって打消しにかかった。
「嘘なもんか。ほら、昨日だって、次郎ちゃんが行くと、みんな鬼ごっこをやめて、逃げちゃったじゃないか。」
「いけないわ、そんなじゃあ。」
 と、春子は、絆創膏を貼《は》り終って、じっと次郎の顔を斜め後から見下した。
 次郎は何とか弁解しようと思ったが、どう言っていいのか解らなくて、椅子にかけたままもじもじしていた。すると、いきなり春子の手が、うしろから彼の肩をつかんだ。
「次郎ちゃん、お願いだからいい子になってね。いいでしょう、ね、ね。」
 春子の頬が息づまるように、次郎の頬にせまって来た。次郎は柔かな光の渦《うず》に巻きこまれるような気がして、ぼうっとなった。そして、嬉しいとも悲しいともつかぬ涙が、ぽたぽたと彼の膝に落ちた。
「乳母やさんが聞いたら、どんなに心配するが知れないわ。」
 春子の声が、彼の耳許でふるえるように囁《ささや》いた。
 次郎は、それを聞くと、いきなり椅子からすべって春子に抱きついた。
「僕、悪かっよ。僕……僕……」
 彼は、顔を春子の胸にうずめて、泣き声をおさえた。春子は次郎の頭をなでながら、
「そう? 解ってくれて? じゃもういいわ。」
「なあんだ、つまんないなあ。姉ちゃん生意気だい、次郎ちゃんを叱ったりするんだもの。」
 と、竜一は口を尖らしながら、それでも何だか訳がわからなそうな顔をして、立っていた。
「そうね、ほんとに悪かったわね。……じゃ、二人でお二階へ行ってらっしゃい。いいものあげるから。」
 竜一はすぐ次郎の手を引っぱった。次郎は一方の手で涙を押さえながら、まるで、ずっと年上の人にでも手を引かれているかのように、竜一のあとについて、二階に行った。

     *

 傷が治ってからも、彼は毎日のように竜一の家
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