仲間の一人が、次郎の顔を見ると、大ぎょうに叫んだ。
「恭ちゃんが、いじめられているようっ。」
次郎は別に驚いた様子もなく答えた。
「放っとけよ。つまんない。」
彼は、恭一がおりおり友達にいじめられるのを知っていた。それを彼は別に気味がいいとも思わなかったし、かといって、同情もしていなかった。つまらない、というのが、実際、彼のありのままの気持だった。
「でも、橋の上だよ、危いぜ。」
「恭ちゃんはすぐ泣くんだから、危いことなんかあるもんか。」
彼は、持っていた棒切れを墓石の上にのせ、射撃をする真似をしながら、そう言って取りあわなかった。
「でも行ってみよう。面白いや。」
戦争ごっこの仲間の一人が言った。二三人がすぐそれに賛成した。
「誰だい、いじめているのは。」
次郎は、相変らず射撃の真似をしながら、落ちついて訊ねた。
「二人だよ?」
「二人?」
次郎は射撃の真似をやめて、ふり向いた。
「そうだい、だから恭ちゃん、かわいそうだい。」
「おい、みんな行こう。」
次郎は何と思ったか、今度は自分から、みんなの先頭に立って走り出した。
村はずれから学校に通ずる道路の中程に、土橋がかかっている。その橋の上に、恭一をはさんで、前後に二人の子供が立っていた。次郎の一隊は、橋の五六間手前まで行くと、言い合わしたように立止まって、そこから三人の様子を眺めた。
恭一は泣いていた。彼をいじめていた二人は、ふりかえってしばらく次郎たちの一隊を見ていたが、自分たちより年下のものばかりだと見て、安心したように、また恭一の方に向き直った。
「女好きの馬鹿!」
そう言って、一人が恭一の額を指先で押した。
すると、もう一人が、うしろから彼の肩をつかんでゆすぶった。次郎は、これは大したいじめ方ではないと思った。
が、この時、橋のむこう半丁ばかりのところに、一人の女の子が、しょんぼりと立っているのが、ふと次郎の眼にとまった。真智子《まちこ》である。本田の筋向いの前川という素封家《そほうか》の娘で、学校に通い出す頃から、恭一とは大の仲よしであった。学校も同級なため、二人は友達に憚《はばか》りながらも、よくつれ立って往復することがある。次郎は彼女が恭一とばかり仲よくするのが癪で、ろくに口を利《き》いたこともなかったが、内心では、彼女が非常に好きだった。時たま、彼女の澄んだ黒い眼で見つめられたりすると、つい顔を赧《あか》らめて、うつむいたりすることもあった。
彼は、恭一がいじめられているわけが、すぐ解った。そして、真智子の前で恥をかいている恭一の顔を、じっと見つめていたいような衝動《しょうどう》にかられた。しかし、いじめている二人に対しては、決して好感が持てなかった。ことに、真智子のしょんぼりした姿が、どうしても彼を落ちつかせなかった。彼は次第に何とかしなければならないような気がしだして来た。
ここでも若い地鶏が彼の眼の前にちらついた。彼は、やにわに橋の上に走って行って、恭一の前に立っている子供を押しのけながら言った。
「恭ちゃん帰ろう。」
押しのけられた子供は、しかし、振り向くと同時に、思うさま次郎の頬っぺたを撲りつけた。
次郎は一寸たじろいた。が、次の瞬間には、彼はもう相手の腰にしがみついた。
横綱と褌《ふんどし》かつぎの角力が狭い橋の上ではじまった。
「ほうりこめ! ほうりこめ!」
恭一のうしろにいた子供が叫んだ。しかし次郎は、どんなに振りまわされても、相手の帯を握った手を放そうとしなかった。
とうとう二人がかりで、次郎をおさえにかかった。次郎は、乾いた土のうえに、仰向けに倒された。土埃で白ちゃけた頭が、橋の縁《ふち》から突き出している。一間下は、うすみどりの水草を浮かした濠《ほり》である。しかし次郎は、その間にも、相手の着物の裾を握ることを忘れていなかった。二人は少しもてあました。そして次郎の指を、一本一本こじ起こしにかかった。
と、次郎は、やにわに両足で土を蹴って、自分の上半身を、わざと橋の縁からつき出した。
重心は失われた。次郎の体は、さかさに落ちて行った。着物の裾を握られた二人が、そのあとにつづいた。水草と菱《ひし》の新芽とが、散々にみだれて、しぶきをあげ、渦を巻いた。
橋の上では恭一と真智子と次郎の仲間たちとが、一列に並んで、青い顔をして下をのぞいた。
三人共すぐ浮き上った。最初に岸にはい上ったのは次郎であった。着物の裾がぴったりと足に巻きついて、雫《しずく》を垂らしている。彼は、顔にくっついた水草を払いのけながら、あとからはい上って来る二人を、用心深く立って見ていた。
すぶ濡れになった三人は、芦の若芽の中で、しばらく睨《にら》みあっていたが、もうどちらも手を出そうとはしなかった。
「覚えてろ。」
相手の一人
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