に打ってかかった。勘作は、突っ立ったまま、しばらく両手でそれを払いのけていたが、お浜の見幕はますます烈しくなるばかりであった。
「ちえっ。」と、勘作は舌打をした。そして、くるりと向きをかえると、校庭の溝をとび越えて、畦道《あぜみち》の方に逃げ出した。
「ぐうたらの、恩知らずめ。」
お浜はそう叫びながら、あとを追った。しかし、溝《みぞ》のところまで行くと、さすがにそれを飛びこしかねたらしく、そこに立ち止ったまま、いつまでも口ぎたなく勘作を罵っていた。
次郎とお鶴とは、ぽかんとしてこの光景に眼を見張った。
二人の眼からは涙はもうすっかり乾いていたが、彼らの顔は、涙でねった土埃で真っ黒によごれていた。
お鶴の頬のお玉杓子もどうやら行方不明になっていた。同時に、次郎も、すっかりそれを忘れてしまっていたのである。
三 耳たぶ
ある夏の日暮である。次郎は直吉の肩車に乗って、校番の部屋から畦道に出た――直吉は二十二三歳の青年で、次郎の実家の雇人である。今日はお民に言いつかって、次郎を迎えに来たのであった。
次郎は肩車が好きだった。このごろ勘作がいよいよ自分をかまいつけてくれなくなり、もう、永いこと肩車に乗らなかったところへ、ひょっくり直吉がやって来て、お浜と何か二言三言|囁《ささや》きあったあと、肩車にのせてやろうと言ったので、彼は大喜びだった。
校門を出て一町ほど北に行くと大きな沢がある。そこにはもう毎晩蛍が飛んでいるころだ。次郎はよくそのことを知っている。だから、彼は肩車に乗って、そこに連れて行って貰うつもりだったのである。
ところが直吉は、校門を出ると、すぐ南の方角に歩き出した。この南の方角というのが、次郎にとっては、あまり好ましい方角ではなかったのだ。というのは、その方角に、彼の父母や、祖父母や、兄弟達が住んでいる家があったのだから。
お民は、孟母三遷の教にヒントを得て、次郎を校番の家に預けはしたものの、彼がもの心つくにつれて、どうやらお浜に親しみ過ぎる傾向があり、それに、孟子の場合とちがって、学校というものの感化力が思ったほどでない、ということをだんだん知りはじめたので、この頃では、お浜が次郎を伴《つ》れてやって来るごとに、彼女を説きつけて、こっそり一人で帰って貰うことにしていたのである。
次郎にとって、それが大きな試煉であったことはいう
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