男が、子供の喧嘩を買って出るなんて、そんな話がどこの世界にあるもんか。」
「お浜、おめえ、自分の子が可愛いくはねえのか、こんな目にあわされても。」
「何言ってるんだよ。ばかばかしい。可愛いけりゃこそ、こうやって私の手一つで、育てているんじゃないかね。お前さんこそ、子供が可愛いくないんだろう。毎日毎日ぶらぶらして、びた[#「びた」に傍点]一文こさえて来るではなしさ。」
 勘作はそっぽを向いて、默ってしまった。
 それまで、気のぬけた泣き声を出しながら、二人の言いあいに聞き耳を立てていた次郎は、どうやらお浜の方が優勢《ゆうせい》らしいのを知って、ほっとした。そして、もう一度お浜の同情を求めるために、大きな声を立てた。するとお鶴の方でも、それに負けないでわめき立てた。
「いつまでも泣くんじゃない。」
 お浜は、お鶴をかろくたしなめてから、次郎の突っ伏しているそばにやって来た。
「次郎ちゃん。勘忍《かんにん》なさいね。」
 お浜は、他の人に向かっては、次郎のことを「坊ちゃん」と呼ぶのだが、次郎本人に対しては、いつも、「次郎ちゃん」と呼ぶことにしているのである。
「次郎ちゃんは、もう大きくなったんだから、お偉いでしょう。さあ、自分で起っきするんですよ。」
 次郎は、しかし、お浜にそう言われて、足をばたばたさせながら、もう一度烈しくわめき立てた。すると、お浜は、うろたえたように、持っていた箒を地べたに置き、彼を抱き起こしにかかった。
「おやっ。」
 次郎を抱き起こしたお浜は、土埃《つちほこり》にまみれた彼の鼻と唇のあたりに、ほんの僅かではあったが血がにじんでいるのを見つけたのである。
「お前さん、坊ちゃんのお顔に傷をつけたんだね。」
 彼女は、きっとなって、もう一度勘作の方に向き直った。
 勘作は、その時、お鶴の方を抱き起こして塵を払ってやっていたが、お浜の見幕《けんまく》を見ると、そ知らぬ顔をして、さっさと校番室の方に歩き出した。
「お待ちっ。」
 お浜はそう叫ぶと同時に、竹箒を取りあげて、うしろから思うさま勘作の頭をなぐりつけた。
「何しやがるんだい。」
 勘作も、さすがに恐ろしい眼付をして向き直った。
「何も糞もあるもんか、大事な坊ちゃんの顔に傷をつけやがってさ。」
 お浜は、まるで気が狂ったように、箒をふりまわして、勘作の顔といわず、手といわず、盲滅法《めくらめっぽう》
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