ツて、撮集して一萬二千頌として、一家の言をなした、毎於一頌之内、離合呪印之文、雖復言同字同實、乃義別用別、自非口相傳授、而實解悟無因、とある、流石の義淨三藏も、密教には局外者であつた丈に、大に了解に困んだものと見える、しかし、陳那菩薩には、難陀の製作が非常に巧であつたことが、判明したと見えて、撫經歎曰、嚮使此賢致意因明者、我復何顏有乎、是智士識己之度量、愚者闇他之淺深と云つて、後の呪藏を了解出來ぬものを戒めて居る、普通の梵語の解釋法を以て、大師の陀羅尼解釋法を云爲するものは、所謂、愚者闇他之淺深もので、獨り、大師の罪人たるのみならず、又義淨の所謂愚人である、たゞ吾輩は、これに對して、緘默として、他日陳那のごとき智者が、出現するを待つまでゝある、大師が梵語を講習するとき、「アーインドラ」學派(〔a_indra school〕)の語典を用ひたと見えて、大日經疏要文記中に、薄伽を釋した節に、帝釋聲論[#「帝釋聲論」に白丸傍点]曰謂女人爲薄伽(Bhaga 是れ女人の根の義なり)云々としてあるを見ても、明白であるしかし此等は惠果の口授を筆記したものとすれば、惠果自身は、帝釋聲論を用ひたものと云ふ
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