好尚したかが明瞭である、しかし、自分の考へでは摸倣にしても當時かくまで巧になし得たか否やを疑ふもので、平安朝の初は暫らく論ぜぬことにして奈良朝の中葉のつきて論して、見ますに當時の知識ある階級、即ち卿相僧侶の方々が、正倉院御物に於て、或は、奈良の古社寺などに存在する文書、繪畫等を自分の力で製作し得た程、進んで居つたか、どうか、甚だ疑はしい、自分の信ずる所では、某卿の作とか、某大臣の作だとか、或は何某の高僧の手に成つたものだとか云はるゝものゝ中に、支那朝鮮からの輸入品と認むべきものは甚だ多い、殊に古經などは、豊滿含潤、見るからに、骨董好きの人々に埀涎せしむる樣なものは、當時の純粹の日本人が書いたものでない、皆支那からの輸入したものか、支那の寫經生が書いたもので、現に正倉院の御物の中に、當時の日本人が、確かに書いた文書もありますが、比較して見ますると、書の巧拙に於て、雲泥の差があります、奈良朝の中葉に於ける支那の書風の摸倣は、未だ其の堂に上つたとは、思はれない、以上云ふたことは、必ずしも、區々たる書風につきてのみ云ふのではない、美術工藝の上でも、これに類したことゝ思ふ、今日保存せられて居る美
前へ 次へ
全95ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
榊 亮三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング