共に、了解せられ、氷釋するがごとき趣があるは、自から顧て、不思議の感がある。
大師の時代を論ずるには、當時の日本と支那とを了解せねばならぬが、當時の日本は、今日の日本とは異つて居つて、とりたて、世界に對し誇るべき程の文明はなかつた、すこし、矯激に亘る嫌はあるかも知れませぬが、當時大師の活動せられて居た奈良や京都の都は、要するに、支那の摸倣であつて、其の都に居つて、全日本を支配する位置に居られた方々の思想、並に好尚は、一に支那の摸倣に過ぎない、今日宮内省の所轄である正倉院の御物を、私は拜觀いたしたことがありましたが、同時に、近頃支那や、中央亞細亞などで、發掘した唐代のものと覺ぼしき美術文書などを見て、竊かに比較憶度致しましたが、從來、奈良の古社寺などで、何々天皇の御宸筆であるとか、何々皇后の御筆であるとか、又は何々大臣の作であるとか傳へられました古經古書などは勿論、古美術品でとりましても、果して、所傳のごとく、僞でないとすれば、實に眞に逼つた支那の摸倣であつて、如何にして、かくまで、眞物に似たものを摸倣し得たかと疑はるゝ次第であるが、これを以てしても、當時の上流社會が、如何に支那に文物を
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