オたものか、判明しないが、高宗皇帝は、秦の始皇帝と同じく又漢の武帝と同じく、かゝる靈藥は、人間にあることゝ信じて、折角多年印度に留學して漸く歸唐し、これから翻譯にでも取りかゝらうと思うて居る、玄照を印度にやつた、然る所、北印度の界で、唐の使節が、盧迦溢多を引きつれて、支那に歸らうと云ふのと、遇ふたものだから、更らに廬迦溢多の命によりて、西印度の羅荼(〔La_ta〕[#tは下ドット付き])國に赴き、長年藥をとりに往つたとある、此の羅荼の國は、當時密教の中心である、此等のことから見ると、高宗皇帝は呪術禁厭等のことを信じて居つたらしい、武周の世になつてからは、武后自身は、隨分ひどいことをして高宗の寵を專にし、又唐の天下を奪ふまでには、種々の罪惡を積んで居る、しかし、根が女人であるから、時々往昔の事を思ひ出しては、己の罪業の恐ろしきことを思ひ到つたに相違ない、かゝる女人に對しては、罪垢滅盡の法を有する密教は最も適當な教である、一體女人で帝王になつた方々は、和漢共に高論玄談を主とする樣な宗教は、喜ばない、寧ろ三寶を敬信して、福田を植ゆるとか、又攘災祈福の祭を致して、己の後生の爲にするとか云ふ風な
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