します、私の家は、世々新義眞言宗の檀徒で、生れた故郷は、興教大師の御事跡と關係ある紀伊岩手の莊でありまして、幼少の時代から、嗜んで、弘法大師の御傳記などは、讀んだものであり、又義理は一切了解しませなんだが、般若心經や、光明眞言などは、七つ八つの時代から暗誦したもので、今でも、やつて見よと云はるれば、巧ではないが、素人仲間に伍すれば、その導師ぐらゐは、勤まる積である、かゝる次第でありましたから、弘法大師の傳記は種々讀みまするし、又傳聞もしましたが、幼少の頃は、想像に富み、空想に馳せ易いから、大師の傳記などは、字義通り、解釋し、又信じまして、自分が、小石を拾うて、紀の川に抛げても、一町とは飛ばぬに大師のごとくなりさへすれば、唐土から、三鈷杵を投げても、必ず雲山萬里の距離を飛び越して、高野山の松の枝にかゝるものと信じました、又村のはづれにある松原を、黄昏の頃に通りて、同行二人と書いた笠を戴いてひとり、とぼ/\と疲れた足を曳きづつて來る四國巡禮のものに遭ふと、かう見えても、もしや、是は、高野山の奧の院に今なほ居らるゝ大師が、假に身を扮じて、巡禮者となつて來たのではないかと思つたこともあつた、其
前へ 次へ
全95ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
榊 亮三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング